藤原信長(読み)ふじわらののぶなが

朝日日本歴史人物事典 「藤原信長」の解説

藤原信長

没年:嘉保1.9.5(1094.10.16)
生年治安2(1022)
平安後期公卿。九条太政大臣と称される。関白教通と藤原公任の娘の子。22歳で参議となり,大納言,内大臣を歴任したあと,承暦4(1080)年従一位太政大臣となった。父から関白職を継ごうと画策したが,教通は兄頼通から将来は子の師実に譲ることを条件に関白職を譲渡されており,この約束を守って師実に関白職を譲ったため,希望は叶えられなかった。平安京左京の九条に邸宅を構え,邸内に一堂(九条堂)を建立し丈六の仏像を安置した。これはのちに城興寺と呼ばれ,信長死後,白河法皇に寄進され平安末期に天台座主明雲から以仁王伝領された。

(朧谷寿)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原信長」の解説

藤原信長 ふじわらの-のぶなが

1022-1094 平安時代中期-後期の公卿(くぎょう)。
治安(じあん)2年生まれ。藤原教通(のりみち)の3男。母は藤原公任(きんとう)の娘。長久2年従三位。内大臣をへて承暦(じょうりゃく)4年(1080)太政大臣となるが,席次は従弟藤原師実(もろざね)の下位におかれた。寛治(かんじ)2年従一位。九条殿,城興寺殿とよばれる。寛治8年9月3日死去。73歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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