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藤原教通 ふじわらののりみち

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

藤原教通
ふじわらののりみち

[生]長徳2(996).6.7. 京都
[没]承保2(1075).9.25. 京都
平安時代中期の廷臣。別称,大二条殿,宇治殿,道長の子。母は左大臣源雅信の娘倫子。康平3 (1060) 年左大臣,同7年氏長者,治暦4 (68) 年関白。藤原氏と外戚関係のない後三条天皇が即位し,摂関家抑圧策をとったため,以後摂関家は衰退に向った。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原教通 ふじわらの-のりみち

996-1075 平安時代中期の公卿(くぎょう)。
長徳2年6月7日生まれ。藤原道長の子。母は源倫子。康平3年(1061)左大臣。治暦(じりゃく)4年(1068)兄頼通(よりみち)から関白をつぎ,のち太政大臣。大二条殿とよばれる。娘歓子(かんし)(後冷泉(ごれいぜい)天皇の皇后)らに皇子が生まれず,外戚関係のない後三条天皇の即位で実権をうしなった。承保(じょうほう)2年9月25日死去。80歳。贈正一位。

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朝日日本歴史人物事典の解説

藤原教通

没年:承保2.9.25(1075.11.6)
生年:長徳2.6.7(996.6.25)
平安中期の公卿。大二条殿と称す。道長の4男で母は左大臣源雅信の娘倫子。11歳で従三位となり,累進して康平3(1060)年65歳で左大臣,8年後に後三条天皇の即位で実兄頼通のあと関白となった。これより早く娘の生子と歓子(ともに母は権大納言藤原公任の娘)を後朱雀,後冷泉両天皇に女御として入れており,同様に2人の娘を両天皇に入れていた頼通との確執を深めた。しかしいずれにも皇子が生まれなかったことから,外戚関係のないことで親政を推進する後三条天皇朝下で摂関の立場の弱体化を招いた。晩年,頼通から子の師実への関白の譲渡(この約束でさきに頼通から関白譲渡を受けた)を迫られたが,応じなかった。白河天皇の即位後も関白を続けたが,3年後に80歳で死去した。頼通死去の翌年のことで,正一位を追贈された。邸宅は二条第(二条南,東洞院東)。日記に『二東記』(『歴代残闕日記』に逸文が所収)がある。『古事談』によると香炉という名の遊女を右大臣藤原実資と競ったという。

(朧谷寿)

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世界大百科事典 第2版の解説

ふじわらののりみち【藤原教通】

996‐1075(長徳2‐承保2)
平安中期の公卿。摂政道長の三男。母は左大臣源雅信の女倫子。15歳で従三位に昇って以来,順調に累進して1021年(治安1)内大臣に昇り,さらに右大臣,左大臣に進み,68年(治暦4)兄頼通の譲により関白となったが,後三条親政のもとでは関白の権勢も振るわず,75年9月25日80歳をもって没した。世に大二条殿と称し,その日記は《二東記》とよばれて尊重された。【橋本 義彦】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

藤原教通
ふじわらののりみち
(997―1075)

平安中期の公卿(くぎょう)。関白(かんぱく)。大二条殿と称す。摂政(せっしょう)道長を父にもち恵まれた道を歩む。母は源倫子(りんし)。右大臣、左大臣を経て太政(だいじょう)大臣に進んだ。その間、左大臣のときの1064年(康平7)兄頼通(よりみち)から氏長者(うじのちょうじゃ)を譲られ、68年(治暦4)には女(むすめ)の歓子(かんし)が後冷泉(ごれいぜい)天皇の皇后にたったことで関白となった。しかし2日後に天皇が崩御し、藤原氏と外戚(がいせき)関係のない後三条(ごさんじょう)天皇が即位し、藤原氏に対する抑圧政策をとったこと、女(むすめ)に皇子の誕生をみなかったことなどから関白としての実権を失い、藤原氏の権勢が下り坂となる原因となった。承保(じょうほう)2年9月25日薨去(こうきょ)[朧谷 寿]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
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