藤原定方墓(読み)ふじわらのさだかたのはか

日本歴史地名大系 「藤原定方墓」の解説

藤原定方墓
ふじわらのさだかたのはか

[現在地名]山科区勧修寺下ノ茶屋町

勧修寺の南西藤原高藤墓のある鍋岡なべおか山北麓に位置。定方は醍醐天皇の外祖父・内大臣高藤の男子。寛平四年(八九二)内舎人となり、延喜九年(九〇九)四月参議、延喜二一年正月正三位、二三年東宮傅兼任。延長二年(九二四)正月右大臣、四年従二位(公卿補任)、承平二年(九三二)八月四日死去(日本紀略・貞信公記)。六〇歳。同月一一日従一位追贈(日本紀略)。毎年八月一日より四日までは定方の忌日として勧修寺で法華八講が営まれたという(勧修寺縁起)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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