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勧修寺 カジュウジ

デジタル大辞泉の解説

かじゅう‐じ〔クワジウ‐〕【勧修寺】

京都市山科(やましな)区勧修寺仁王堂町にある真言宗山階(やましな)派の大本山山号は亀甲山。開創昌泰3年(900)、開基醍醐(だいご)天皇開山承俊。延喜5年(905)定額寺となる。代々、法親王門跡寺院(山科門跡)として栄えた。勧修寺縁起など、多数の古文書を所蔵。かんじゅじ。かじゅじ。かんしゅうじ。

かんしゅう‐じ〔クワンシウ‐〕【勧修寺】

かじゅうじ(勧修寺)

かんじゅ‐じ〔クワンジユ‐〕【勧修寺】

かじゅうじ(勧修寺)

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百科事典マイペディアの解説

勧修寺【かじゅうじ】

勧修寺(かんしゅうじ)

勧修寺【かんしゅうじ】

〈かじゅうじ〉〈かんじゅじ〉とも。京都市山科区にある真言宗山階派の大本山。本尊千手観音。醍醐天皇の勅願寺と伝える。朝廷,藤原氏の帰依が厚く,壮大な寺院だったが数度の火災で縮小。
→関連項目勧修寺繍帳山科山科[区]

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世界大百科事典 第2版の解説

かんしゅうじ【勧修寺】

京都市山科区,真言宗山階派の大本山。山号は亀甲山。〈かじゅうじ〉〈かんじゅじ〉とも。醍醐天皇の生母藤原胤子のため,承俊律師を開山に,生母の祖父の宇治郡郡司宮道(みやじ)弥益の邸址に寺が建てられた。これが当寺の開創で,その年代は900年(昌泰3)説が有力。密教の蘊奥(うんのう)をきわめた7代寛信のときから,当寺は真言小野流のうち勧修寺流の本拠となり,また鎌倉時代には代々法親王が入寺する宮門跡寺院となるなど,平安・鎌倉期に皇室や藤原氏の保護を得て大いに栄えた。

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大辞林 第三版の解説

かじゅうじ【勧修寺】

かじゅじ【勧修寺】

かんじゅじ【勧修寺】

京都市山科区にある真言宗山階やましな派の本山。山号は亀甲山。900年醍醐天皇の母藤原胤子の願によって創建。承俊が開基。定額寺じようがくじとなる。山科門跡もんぜき。かじゅうじ。かじゅじ。

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世界大百科事典内の勧修寺の言及

【勧修寺家】より

…醍醐天皇の外祖父内大臣藤原高藤を始祖とする。高藤の男右大臣定方の建てた京都山科の勧修寺(かんしゆうじ)を一門の氏寺とし,一門中官位第一の者を長者として結束したので,この寺号が一門の総称となった。院政時代に入って,為房・顕隆父子が白河院近臣として活躍してから急速に繁栄し,代々太政官の弁官に任ぜられる一方,上皇や摂関に仕えて院中,家中の実務をとり,弁官家とか名家とよばれた。…

※「勧修寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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