朝日日本歴史人物事典 「藤原縄麻呂」の解説
藤原縄麻呂
生年:天平1(729)
奈良時代の貴族。藤原豊成と房前の娘の子。豊成の第4子。縄万呂,綱麻呂とも書く。神護景雲2(766)年ごろ(『公卿補任』では天平宝字8年)参議。民部卿,勅旨大輔,近江守,同按察使などを歴任。4年称徳天皇の死去に当たり,左大臣藤原永手らと共に光仁天皇の擁立に動く。宝亀2(771)年に中納言,のち皇太子傅,勅旨卿を兼ねた。10年7月中衛大将兼式部卿藤原百川が死ぬと,廟堂で重きをなしたが,5カ月後死去。従二位大納言を追贈された。
(増渕徹)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報