藤原縄麻呂(読み)ふじわらのただまろ

朝日日本歴史人物事典 「藤原縄麻呂」の解説

藤原縄麻呂

没年宝亀10.12.13(780.1.24)
生年天平1(729)
奈良時代貴族藤原豊成と房前の娘の子。豊成の第4子。縄万呂,綱麻呂とも書く。神護景雲2(766)年ごろ(『公卿補任』では天平宝字8年)参議民部卿,勅旨大輔,近江守,同按察使などを歴任。4年称徳天皇死去に当たり,左大臣藤原永手らと共に光仁天皇の擁立に動く。宝亀2(771)年に中納言,のち皇太子傅,勅旨卿を兼ねた。10年7月中衛大将兼式部卿藤原百川が死ぬと,廟堂で重きをなしたが,5カ月後死去。従二位大納言を追贈された。

(増渕徹)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原縄麻呂」の解説

藤原縄麻呂 ふじわらの-ただまろ

729-780* 奈良時代の公卿(くぎょう)。
天平(てんぴょう)元年生まれ。南家藤原豊成の4男。母は藤原房前(ふささき)の娘。参議兼民部卿となり,神護景雲(じんごけいうん)2年(768)従三位。藤原永手(ながて)らと光仁(こうにん)天皇を擁立し,宝亀(ほうき)2年中納言にすすむ。中衛大将,勅旨卿などを兼任。宝亀10年12月13日死去。51歳。贈従二位大納言。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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