奈良前期の官人。藤原不比等の第2子で,藤原北家の祖。兄武智麻呂より1歳年少である。永手,真楯(八束ともいう),清河,魚名,御楯(千尋ともいう),楓麻呂らの父。また名前未詳の女は聖武天皇の夫人となっており,袁比良(おひら)(宇比良古)は藤原仲麻呂の妻となっている。さらに《尊卑分脈》《公卿補任》では鳥養(第1子)の父ともある。717年(養老1)10月,武智麻呂に先んじて朝政に参議した。これはおそらく父不比等の抜擢によるものであろう。武智麻呂は721年1月,参議を経ずに中納言に任じられ,729年(天平1)3月大納言,734年正月右大臣と昇進し,藤原氏の嫡長子として対外的に藤原氏を代表していたと考えられる。これとは対照的に,房前は一貫して参議でありつづけた。しかし元明太上天皇の信頼篤く,721年その死に臨んで〈内臣〉とされ,内外を計会し,勅に准じて施行し,帝業を輔翼し,国家を寧んずべきことを遺言されたことが示すように,皇室との個人的関係が深かった。また,《万葉集》によると729年10月の時点で,房前をさして〈中衛高明閤下〉とあり,《公卿補任》にも730年10月に〈中衛大将〉に任じられたとあることからみて,房前は728年(神亀5)に授刀衛(じゆとうえ)を改組して設置された中衛府の初代長官であったと考えられる。したがって,彼は藤原氏内部の最高権力者であったとみてよいと思われる。737年4月,天然痘の流行により没した。時に参議民部卿正三位。同年10月正一位左大臣を,760年(天平宝字4)8月藤原仲麻呂によって太政大臣が追贈された。
執筆者:栄原 永遠男
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奈良時代の政治家。不比等(ふひと)の二男で北家(ほっけ)の祖。705年(慶雲2)に従(じゅ)五位下に叙せられてから昇進を重ね、717年(養老1)に参議となり、兄武智麻呂(むちまろ)、弟宇合(うまかい)、麻呂らとともに政界に重きをなした。721年には元明(げんめい)太上天皇はとくに右大臣長屋王と房前に遺言し、元明なきあとの不測の事態に備え、さらに房前を内臣(ないしん)に任じて元正(げんしょう)天皇を補佐させた。また728年(神亀5)設置の中衛府(ちゅうえふ)は藤原氏との関係が強く長屋王の変でも活躍するが、その最初の中衛大将は房前であったらしく、そのころきわめて重要な官人であった。天平(てんぴょう)9年4月17日、天然痘によって死去。3人の兄弟も同病で7、8月に死去した。
[福井俊彦]
『野村忠夫著『律令政治の諸様相』(1968・塙書房)』▽『笹山晴生著『中衛府の研究』(『論集日本歴史2 律令国家』所収・1972・有精堂出版)』▽『中川収著『奈良朝政争史』(1979・教育社)』
(狩野久)
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681~737.4.17
奈良前期の公卿。不比等(ふひと)の次男。母は蘇我連子の女娼子。北家の祖。705年(慶雲2)従五位下に叙され,しばしば巡察使に任じて諸国の政情を視察。715年(霊亀元)従四位下に昇り,717年(養老元)朝政への参議を許される。元明太上天皇の危篤に際し内臣(うちつおみ)として元正天皇の輔弼にあたり,また授刀督・中衛大将として武力を掌握した。737年(天平9)天然痘により没し,正一位左大臣,さらに太政大臣を追贈される。
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…その死骸を引き上げると玉は乳房を切り裂いて隠してあった。玉は興福寺の本尊の眉間に納められ,子は大臣藤原房前となった。これは海女が身を捨てて海中の玉を取る話だが,《日本書紀》允恭紀にあるように古い神話的原型に由来する。…
…日本の代表的な貴族。大化改新後の天智朝に中臣氏から出て,奈良時代には朝廷で最も有力な氏となり,平安時代に入るとそのなかの北家(ほくけ)が摂政や関白を独占し歴代天皇の外戚となって,平安時代の中期は藤原時代ともよばれるほどに繁栄した。鎌倉時代からはそれが近衛(このえ)家,二条家,一条家,九条家,鷹司(たかつかさ)家の五摂家に分かれたが,以後も近代初頭に至るまで,数多くの支流を含む一族全体が朝廷では圧倒的な地位を維持し続けた。…
…奈良時代初期の重臣。史(ふひと)とも表記。鎌足の次男で,母は車持君国子(くるまもちのきみくにこ)の娘の与志古(よしこ)。幼時は山科(京都市山科区)の田辺史大隅(たなべのふひとおおすみ)の家で育ったので,史と名づけられたという。父の死後3年目に起こった壬申の乱では,田辺一族から近江方の将軍となった者も出たが,不比等自身はまだ少年であったし,乱後の天武朝には,姉妹の氷上(ひかみ)や五百重(いおえ)が天武夫人(ぶにん)としてそれぞれ但馬(たじま)皇女や新田部皇子を生んだためもあって,順調に官途を歩みだしたらしく,持統朝で判事(はんじ)に任命されたときには,数え年31歳で直広肆(じきこうし)(従五位下相当)に昇っていた。…
※「藤原房前」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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[1973~ ]プロ野球選手。愛知の生まれ。本名、鈴木一朗。平成3年(1991)オリックスに入団。平成6年(1994)、当時のプロ野球新記録となる1シーズン210安打を放ち首位打者となる。平成13年(...
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