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藤原能長 ふじわらの よしなが

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原能長 ふじわらの-よしなが

1022-1082 平安時代中期-後期の公卿(くぎょう)。
治安(じあん)2年生まれ。藤原頼宗の3男。母は藤原伊周(これちか)の娘。叔父能信(よしのぶ)の養子。長久4年(1043)参議。能信の没後は春宮(とうぐう)大夫の後任をつとめ,正二位,内大臣皇太子傅(ふ)となった。三条内大臣とよばれる。永保2年11月14日死去。61歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

藤原能長

没年:永保2.11.14(1082.12.6)
生年:治安2(1022)
平安中期の公卿。三条内大臣と称される。正二位。右大臣頼宗と内大臣藤原伊周の娘の子。のちに叔父の藤原能信の養子。蔵人頭を経て長久4(1043)年22歳で参議となり,権中納言,権大納言を経て承暦4(1080)年,内大臣に昇進。その邸宅三条第は天喜1(1053)年の一時期,東宮の尊仁親王(のちの後三条天皇)の御所となったことがある。父能信が東宮大夫であったことによる。娘道子は白河天皇の女御(承香殿女御)になった。

(朧谷寿)

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