藤原詮子(読み)ふじわらのせんし

  • 961―1001
  • 藤原詮子 ふじわらの-せんし

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

円融(えんゆう)天皇の女御(にょうご)、一条(いちじょう)天皇の母。藤原兼家(かねいえ)の女(むすめ)。母は藤原時姫(ときひめ)。道長の姉。978年(天元1)女御となり、一条天皇即位(986年=寛和2)ののち、同年7月皇太后となった。991年(正暦2)9月、太上天皇に準じて院号を授けられ、東三条院となった。1001年(長保3)10月、四十賀が行われた。同閏(うるう)12月22日別当藤原行成(ゆきなり)の邸で崩御した。

[山中 裕]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内の藤原詮子の言及

【女院】より

…天皇の母や皇后,後宮,女御や内親王などで,女院号を宣下された者をいう。991年(正暦2)9月一条天皇の生母皇太后藤原詮子が病により出家したため,出家後の詮子の処遇が問題になり,皇太后を止め,改めて東三条院の院号を宣下し,太上天皇に准ずる待遇を与えたのが初例である。以後,1850年(嘉永3)2月,孝明天皇の生母藤原雅子が新待賢門院の院号を宣下されるまで,詮子も含めて女院号を授けられた者は107名(このうち2度院号宣下を被った者があり,院号例は108)である。…

【東三条院】より

…藤原詮子。円融天皇の女御。…

※「藤原詮子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

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