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東三条院 ひがしさんじょういん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

東三条院
ひがしさんじょういん

[生]応和2(962).京都
[没]長保3(1001).閏12.22. 京都
円融天皇の女御 (にょうご) 藤原詮子太政大臣兼家の娘。母は藤原時姫。貞元3 (978) 年円融天皇の女御となり,天元3 (980) 年懐仁親王 (のち一条天皇) を産んだ。寛和2 (986) 年一条天皇が即位すると,皇太后の宣下を受けた。正暦2 (991) 年病んで落飾し,太上天皇に準じて東三条院と称した。これが女院号の初めである。陵墓は京都府宇治市の宇治陵。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

東三条院 ひがしさんじょういん

962-1002* 平安時代中期,円融天皇の女御。
応和2年生まれ。藤原兼家の娘。母は藤原時姫。藤原道長の姉。貞元(じょうげん)3年入内(じゅだい)。天元3年懐仁(やすひと)親王(一条天皇)を生む。一条天皇が即位すると,皇太后となる。正暦(しょうりゃく)2年(991)出家。皇太后宮職(しき)を廃止し,太上天皇に準じて女院号の最初である東三条院をさずけられた。長保3年閏(うるう)12月22日死去。40歳。名は詮子(せんし)。

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世界大百科事典 第2版の解説

ひがしさんじょういん【東三条院】

961‐1001(応和1‐長保3)
藤原詮子。円融天皇の女御。一条天皇の母。父は藤原兼家,母は藤原仲正の女時姫である。978年(天元1)8月入内して梅壺に候し,同年11月女御となる。980年懐仁(やすひと)親王(一条天皇)を生むや,兼家は詮子が皇后に立てられるのを期待するが,関白藤原頼忠の女遵子が立后したため,しばらく詮子を宮中に帰すのを止めた。しかし986年(寛和2)懐仁親王が即位すると,7月5日その母儀として皇太后となり,女御から直接皇太后に昇る新例を開いた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

東三条院
ひがしさんじょういん

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世界大百科事典内の東三条院の言及

【女院】より

…天皇の母や皇后,後宮,女御や内親王などで,女院号を宣下された者をいう。991年(正暦2)9月一条天皇の生母皇太后藤原詮子が病により出家したため,出家後の詮子の処遇が問題になり,皇太后を止め,改めて東三条院の院号を宣下し,太上天皇に准ずる待遇を与えたのが初例である。以後,1850年(嘉永3)2月,孝明天皇の生母藤原雅子が新待賢門院の院号を宣下されるまで,詮子も含めて女院号を授けられた者は107名(このうち2度院号宣下を被った者があり,院号例は108)である。…

※「東三条院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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