デジタル大辞泉 「寛和」の意味・読み・例文・類語 かんな〔クワンワ〕【寛和】 平安中期、花山天皇・一条天皇の時の年号。985年4月27日~987年4月5日。かんわ。 かんわ〔クワンワ〕【寛和】 ⇒かんな(寛和) 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「寛和」の意味・読み・例文・類語 かんなクヮンワ【寛和】 平安中期、花山・一条両天皇の代の年号。永観三年(九八五)四月二七日代始により改元。寛和二年六月以降は一条天皇。寛和三年四月五日永延(えいえん)と改元。出典未詳。 かんわクヮンワ【寛和】 ⇒かんな(寛和) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
普及版 字通 「寛和」の読み・字形・画数・意味 【寛和】かん(くわん)わ 心ひろく温和。〔漢書、循吏、黄覇伝〕是れに(よ)り、俗は嚴を上(たつと)びて以て能と爲すも、は獨り和を用(もつ)て名と爲す。字通「寛」の項目を見る。 出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
日本の元号がわかる事典 「寛和」の解説 かんな【寛和】 日本の元号(年号)。平安時代の985年から987年まで、花山(かざん)天皇、一条(いちじょう)天皇の代の元号。前元号は永観(えいがん)。次元号は永延(えいえん)。985年(永観3)4月27日改元。花山天皇の即位にともない行われた(代始改元)。986年(寛和2)、花山天皇が御所を出奔して、洛東の元慶(がんけい)寺で出家、退位するという事件が起こった。摂関家内部の権力争いを背景にした出来事で、寛和の乱と呼ばれる。985年(寛和1)には源信(げんしん)が『往生要集(おうじょうようしゅう)』を著している。◇「かんわ」とも読む。 かんわ【寛和】 ⇒寛和(かんな) 出典 講談社日本の元号がわかる事典について 情報