デジタル大辞泉
「太上天皇」の意味・読み・例文・類語
だいじょう‐てんのう〔ダイジヤウテンワウ〕【▽太上天皇】
だじょう‐てんのう〔ダジヤウテンワウ〕【▽太上天皇】
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だいじょう‐てんのう ダイジャウテンワウ【太上天皇】
〘名〙
※高野本平家(13C前)一「いまだ御元服もなくして、
太上(ダイジャウ)天皇の
尊号あり」
② 転じて、天皇が、
自分の父で天皇に即位することのなかった
親王に贈る尊称。だじょうてんのう。
※皇年代略記‐後
堀河院「承久三年〈略〉八月十一日、尊
二皇親入道守貞親王
一〈略〉為
二太上天皇
一、〈後高倉院是也〉」
だじょう‐てんのう ダジャウテンワウ【太上天皇】
〘名〙
※
浄瑠璃・暦(1685)一「しょてんのめぐみひさかたの太上
(ダジャウ)天皇とはじめてあがめ奉る」
※大観本謡曲・
須磨源氏(1430頃)「藤の裏葉に太上天皇
(だじょうてんのう)かく楽しみを極めて」
おおき‐すめらみこと おほき‥【太上天皇】
〘名〙 退位した天皇をいう尊称。文武天皇元年(
六九七)に譲位した
持統天皇に対して用いたのに始まる。だいじょうてんのう。だじょうてんのう。
※
続日本紀‐大宝元年(701)六月庚午「太上天皇幸
二吉野離宮
一」
※
令義解(718)
儀制「太上天皇。〈譲位帝所
レ称〉」
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
太上天皇
だじょうてんのう
「だいじょうてんのう」と読む場合もあり,略して太上皇,上皇ともいう。譲位した天皇の称号。さらに出家入道すると太上法皇,略して法皇といった。仙洞 (せんとう) ,仙院,姑射山 (こやさん) ,藐姑射山 (はこやさん) などは唐名で,神仙の住むところの意から用いたもので,仙洞御所は現在京都御所の中に残っている。太上天皇の語の歴史上の初見は,『続日本紀』大宝1 (701) 年6月の条にあり,持統天皇のことである。平安時代には譲位がしばしば行われたため,一時に上皇が何人も生じる場合があり,このときには一院,二院,または本院,中院,新院などと呼んだ。上皇が歴史上最も活躍したのは院政の場合で,白河上皇 (のち,法皇として院政を行う) が応徳3 (1086) 年に院庁で国政を行なったのに始る。その後,鳥羽上皇,後白河上 (法) 皇らが院政を行い,藤原氏の摂関政治は衰微するにいたった。上皇の権威は後鳥羽上皇に受継がれ,ついに承久の乱を引起すにいたったが,鎌倉幕府に敗れ,上皇による院政もその力を失った。
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太上天皇
だいじょうてんのう
「だじょうてんのう」とも。譲位した天皇をいう。上皇・太上皇と略し,院ともよばれ,その御所は仙洞・仙院と称された。初例は持統太上天皇で,中国の太上皇・太上皇帝にならって大宝令で制定されたものと考えられ,譲位と同時に,この称号と天皇在位中とかわらない権能を保証された。嵯峨太上天皇以後,公的地位を離れたが,白河太上天皇が院政を始めるに至り,治天の君として君臨した。なお親王から太上天皇になった例は,後高倉院・後崇光院・陽光院(誠仁(さねひと)親王)・慶光天皇(閑院宮典仁(すけひと)親王)である。
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世界大百科事典(旧版)内の太上天皇の言及
【上皇】より
…譲位した天皇の称。太上天皇の略。[譲位]は645年(大化1)皇極天皇が孝徳天皇に皇位を譲ったのに始まり,新帝は姉の皇極に皇祖母尊(すめみおやのみこと)の尊称をたてまつったが,大宝令において〈譲位の帝〉の尊称を太上天皇と定めた。…
※「太上天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」