日本歴史地名大系 「藤原順子陵」の解説 藤原順子陵ふじわらのじゆんしりよう 京都市:山科区御陵村藤原順子陵[現在地名]山科区御陵沢ノ川町安祥寺(あんしようじ)山中、安祥寺川上流西岸に東面して築かれた円型墳墓。順子は左大臣藤原冬嗣の女で仁明天皇の女御となり、文徳天皇を産んで皇太后となる。「三代実録」貞観一三年(八七一)九月二八日条にその死亡と伝を載せる。同一〇月五日条に「山城国宇治郡後山階山陵」、「延喜式」巻二一(諸陵寮)に「後山科陵 太皇太后藤原氏、在山城国宇治郡、仮陵戸五烟」とあり、後山階(のちのやましな)陵と称される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by