朝日日本歴史人物事典 「藤堂高次」の解説
藤堂高次
生年:慶長6.閏11.11(1602.1.4)
江戸前期の大名。伊勢国(三重県)津藩の2代藩主。父は高虎,母は長連久の娘。伊予国板島(愛媛県宇和島市)生まれ。通称大助,大学助。侍従兼大学頭。寛永7(1630)年津藩32万3000石余を襲封。父のあとを受け継ぎ,同藩の藩政の確立に努め,津城下町を整備した。江戸城の普請役にも参加。西島八兵衛らを登用して,河川堤防の築造,修復を行い,新田開発を積極的にすすめた。兵制の整備も実施した。また茶陶の藤堂焼を伊賀(三重県)丸柱で焼かせるなど,文学,風流にも造詣の深い人物として知られる。寛文9(1669)年隠居。江戸で死去。
(長谷川成一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報