出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
琵琶湖に浮かぶ竹生島に鎮座。祭神は浅井姫命。延喜式内社であるが創立は詳らかでなく,中世以来弁才天を本地仏としてまつってきた。現在の本殿(弁天堂。国宝)は,1558年(永禄1)の火災後67年に再建されたものを,1602年(慶長7)に豊臣秀頼が片桐且元を奉行として改築したものである。方3間の入母屋造の住宅風の建物を母屋(もや)とし,この周囲に庇(ひさし)をめぐらしており,外観は2層にみえる。内部の柱や長押(なげし)は金具を飾り,黒漆塗として金蒔絵で草花を描き,天井は折上格天井(おりあげごうてんじよう)とし,天井板,壁,襖は金箔地に極彩色の草花を描き,華麗な室内をつくっている。正面の桟唐戸(さんからど)の桟にも金具を打ち,一面に草花の彫刻で埋め飾って,桃山風の手法を十分に発揮している。一方,周囲の庇の細部には,室町時代の手法をみせている。この神社に隣接する宝厳寺には桃山時代の観音堂(重要文化財),唐門(国宝)があり,このうち唐門は1602年豊国廟(豊国神社)から移築した向(むかい)唐門で,木柄が太く大虹梁の上に大きな蟇股(かえるまた)をおき,その両側や虹梁の下に花鳥の彫刻をはめ,桟唐戸や小脇羽目(こわきばめ)には牡丹唐草風の彫刻を埋め,豪華な桃山時代の特徴をいかんなく表している。都久夫須麻神社本殿母屋部分は,伏見城の建物の寄進と伝えられるが,宝厳寺唐門と同様に豊国廟の遺構の可能性もある。
→竹生島
執筆者:宮沢 智士
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
滋賀県長浜(ながはま)市竹生(ちくぶ)島に鎮座。市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、宇賀御魂命(うかのみたまのみこと)、浅井姫命(あさいひめのみこと)を祀(まつ)り、竹生島神社ともいう。『伊呂波(いろは)字類抄』に、伊吹(いぶき)山の多多美比古(たたみひこ)神と力比べをした浅井姫命が琵琶(びわ)湖の中に竹生島をつくって逃れ、ここに鎮まったという縁起がある。『延喜式(えんぎしき)』神名帳に登載され、その後、天台宗の勢力下で神仏習合が進み、本地仏を弁才天とし、日本三弁天の一つとなる。明治の神仏分離で現社名に復した。旧県社。本殿は豊臣秀頼(とよとみひでより)が伏見(ふしみ)城の一部を移築したと伝え、国宝。例祭は6月15日。
[白山芳太郎]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
滋賀県長浜市の竹生(ちくぶ)島に鎮座。式内社。旧県社。祭神は浅井姫命・市杵島姫(いちきしまひめ)命・宇賀御霊(うかのみたま)命。10世紀に作られた当社の縁起「竹生島縁起」によれば,恵美押勝の乱平定に神験があったという。平安時代に神宮寺宝厳(ほうごん)寺が成立し,弁才天信仰が盛んになった。例祭は6月15日。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…それに続く文禄1‐慶長5年(1592‐1600)は,桃山美術の完成期ともいうべき重要な時期である。この時期の建築の遺品は少ないが竹生島にある宝厳寺の唐門と都久夫須麻神社本殿は,1599年(慶長4)造営の豊国廟の一部遺構と推定されている。その内外の建築装飾は鳥獣,草花などをモティーフとし,派手な彩色や牡丹唐草の精巧な透し彫など他の時代に見られぬ生気にあふれた意匠を展開している。…
…そのとき浅井姫の頭が琵琶湖にころがり落ちて島となったのが,竹生島だという。島内には浅井姫命をまつる都久夫須麻(つくぶすま)神社がある。中世以降,神仏習合により弁才天を本地仏とし,竹生島弁才天は江の島,厳(いつく)島の弁才天とともに日本三弁天の一つに数えられた。…
※「都久夫須麻神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
東海沖から九州沖の海底に延びる溝状の地形(トラフ)沿いで、巨大地震発生の可能性が相対的に高まった場合に気象庁が発表する。2019年に運用が始まった。想定震源域でマグニチュード(M)6・8以上の地震が...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新