イギリス音楽(読み)いぎりすおんがく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「イギリス音楽」の意味・わかりやすい解説

イギリス音楽
いぎりすおんがく

すでに12世紀末から平行3度や平行6度を用いるなど、イギリス音楽は、古くからヨーロッパ大陸の音楽とは異なる独自性を示している。イギリス文化は、ケルト系やゲルマン系などの異民族混合のうえに成り立つもので、何をもってイギリス的特徴というのかはむずかしいところがあるが、芸術音楽の様式としては、荘重でいてかつノスタルジックな雰囲気を漂わせるものが、どの時代においても共通してつくられている。また、その歴史も独特な展開を示すもので、何回かの爆発的隆盛期とまったくの衰微期とを繰り返すという変則的なものとなっている。

[南谷美保]

芸術音楽の歴史

中世

中世の音楽は、教会とともに発展した。6世紀末に聖アウグスティヌスがイギリスにふたたびキリスト教をもたらしたのちは、ローマから直接の音楽指導を受けることになる。10世紀にはウィンチェスター大聖堂に大オルガンが建造され、11世紀に入ると初期ポリフォニー作品を収めた写本『ウィンチェスター・トロープス集』Winchester Troperが成立した。14世紀に至るまでの資料はほとんど現存していないが、カノン『夏は来たりぬ』(1240/1310ころ)に示されるように、この時代のイギリス音楽は、のちにジメル(双子(ふたご))という名称が与えられた平行3度や平行6度が頻繁に用いられ、大陸の音楽とは異なる独自の響きをもっている。

 14世紀末から15世紀中ごろにかけては、ダンスタブル、パワーLeonel Power(1375?―1445)らの活躍した、イギリス音楽史上、第1回目の隆盛期にあたる。ダンスタブルはヨーロッパ大陸に渡り、初期ネーデルラント楽派に大きな影響を与えた。この後イギリスは、百年戦争、ばら戦争という内乱の時代に入り、音楽史的にはまったく不明な時代となる。

[南谷美保]

チューダー朝およびスチュアート朝時代

16世紀初めから17世紀前半のチューダー朝、スチュアート朝時代は、第2回目の隆盛期である。ヘンリー8世のもとに始められた宗教改革は、優れた作曲家の出現とともに、独自の教会音楽(キリスト教音楽)を発展させた。エドワード6世のもとで共通祈祷(きとう)書が採用され(1549)、カンティクル(カンティクム)、リタニー、アンセムといった、歌詞の1音節(シラブル)に対して旋律の1音をあてはめるシラビック様式の楽曲の作曲が進められた。メアリー・スチュアートのカトリック反動のあとに即位したエリザベス1世は、これらの楽曲のほかに、従来のラテン語によるポリフォニックな楽曲の作曲も黙認したため、この時代の教会音楽は多様性に富んだものとなっている。おもな作曲家には、タリス、バード、タバナーJohn Taverner(1490ころ―1545)、モーリーThomas Morley(1557/1558―1602)らがあげられる。世俗音楽も、1530年に楽譜印刷が始まったことで、この時代に非常な発展を遂げた。モーリー、ギボンズらが膨大な量のマドリガル(イタリアのマドリガーレの影響を受けた声楽音楽)を作曲し、ダウランドに代表されるリュート歌曲のほか、リュート独奏曲も、ダウランド、ホルボーンAnthony Holborne(?―1602)、カッティングFrancis Cutting(1583―1603)らの曲が多く残っている。バージナル変奏曲やブロークン・コンソートbroken consort(種々の異なる楽器による合奏)などは、大陸よりかなり進んだ様式を示している。しかしながら、1642年に始まるピューリタン革命は教会音楽の崩壊をもたらした。わずかに、クロムウェル自身も愛好したマスク(仮面劇)の音楽や、ジェンキンズJohn Jenkins(1592―1678)、ロックMatthew Locke(1621/1622―1677)のリュート歌曲などが残っているだけである。

[南谷美保]

王政復古以後

1660年の王政復古後のイギリス音楽は第3回目の隆盛期を迎える。チャールズ2世は、かつて非常に優れた音楽家集団としてイギリスの音楽を支えてきた、王室礼拝堂に付属する聖歌隊をはじめとする「チャペル・ロイヤル」の組織を復興した。そのなかで活躍したハンフリーPelham Humfrey(1647―1674)やブローJohn Blow(1649―1708)などの音楽家たちによって、フランスやイタリアの音楽様式を模倣した多くの音楽が生み出された。ブローの弟子であったパーセルは、こうした外国音楽にギボンズやウィールクスThomas Weelkes(1576―1623)ら後期チューダー楽派のポリフォニー様式をも取り入れて、イギリス・バロック様式を成立させた。彼は多くの舞台音楽、礼拝音楽、器楽曲のほか、イギリス独特の王室用祝典音楽であるコート・オードも作曲した。パーセルの死後は優れた音楽家は現れず、イギリス音楽は三たび衰微期に入る。

 18世紀後半のイギリスは、外国人音楽家の活躍する完全な音楽消費国となる。この時期にイギリスで活躍した音楽家に、ドイツ生まれのヘンデルがいる。ヘンデルはイギリスでイタリア・オペラを成功させるべく努力したが、それは失敗に終わり、オラトリオ(聖譚(せいたん)曲)へと転向した。イギリスにおいてはイタリア・オペラは定着せず、かわりに『乞食(こじき)オペラ』(ジョン・ゲイ台本、ペープシュ作曲)をはじめとするバラッド・オペラが出現した。バラッド・オペラとは、民謡や当時の有名な旋律を用いた、庶民的な音楽劇の一種であり、レチタティーボ(叙唱)を排した台詞(せりふ)と歌で構成され、庶民的な題材、風刺的な内容などから大人気をよんだ。また、ジェントルマン階層の進出によって、音楽は市民生活に浸透していった。このことはグリーglee(無伴奏の男声用合唱曲)や、当時の社交場で歌われたキャッチcatch(輪唱)といった合唱音楽の発展にも示されている。

 また、公開演奏会も盛んで、ここでも外国人演奏家が活躍した。ペープシュの主催した古典音楽協会や、アポロ協会コンサートの出現、J・C・バッハとビオラ・ダ・ガンバ奏者のアーベルCarl Friedrich Abel(1723―1787)によるバッハ・アーベル演奏会の開催は、こうした傾向をますます強めた。ハイドン、モーツァルトメンデルスゾーンなど、17、18世紀の有名な音楽家でロンドンを訪れなかった者はなかったほどである。

 イギリス音楽がふたたびイギリス人によって発展するのは、サリバンによるコミック・オペラ(喜歌劇)や、エルガー、ディーリアスらの現れる19世紀の後半になってからである。19世紀末には、民謡収集家・編集者のセシル・シャープCecil Sharp(1859―1924)や作曲家ボーン・ウィリアムズらによる民謡の収集と研究や、また中世・ルネサンス音楽の研究も始められた。

[南谷美保]

20世紀

こうした基盤のうえに、ボーン・ウィリアムズやホルストの音楽が成立する。20世紀初めのイギリスの音楽界は、ロマン派の流れをくむエルガー、バックスArnold Bax(1883―1953)らの活動と、彼らへの反動ともいえる国民主義的な傾向を示すボーン・ウィリアムズやホルストなどの活動という二つの大きな流れに分けることができるが、この国民主義的な傾向はけっして極端な方向に進むことはなかった。その後は、ウォルトンティペットMichael Tippett(1905―1998)、アイアランドJohn Ireland(1879―1962)らが活躍し、続いてパーセル以降最大の作曲家で「イギリス20世紀音楽の父」といわれるベンジャミン・ブリテンが登場する。ブリテンは、彼の後に続く作曲家の世代に直接・間接の指導を与えたことで、現代イギリス作曲界に大きな影響を及ぼしている。とくに、ティペットやブリテンが示したオペラへの興味は、彼らに続く世代にも引き継がれた。

 「イギリスの三羽烏(がらす)」とよばれ、第二次世界大戦後のイギリス作曲界の代表とされるバートウィスルSir Harrison Birtwistle(1934―2022)、デービスSir Peter Maxwell Davies(1934―2016)、ゲールAlexander Goehr(1932―2024)の3人組のなかでも、バートウィスルは「20世紀最高のオペラ作曲家」(『ル・モンド』紙)との評価を受けている。また、デービスは舞台に登場する人間の動きすべてを一種の音楽劇的な要素として取り込もうとした「ミュージック・シアター」の活動で評価されたが、その後、ルネサンス期音楽の様式を借用した作曲活動や、タバナーの生涯のオペラ化など、かつての国民主義的な動きへと回帰している。実験音楽の分野では、カーデューCornelius Cardew(1936―1981)が指導的立場をとった。また、ビートルズをはじめとするポピュラー音楽界でのイギリス系音楽家の活動にも目覚ましいものがある。このように、多くのイギリス系音楽家が活躍する現代は、イギリス音楽史上第4回目の隆盛期といえるかもしれない。

[南谷美保]

民俗音楽

イングランド民謡には、物語性をもつバラッドと、主観的な叙情歌や仕事歌などからなるソングの2種がある。音階としては教会旋法のイオニア旋法(長音階に同じ)を主とした七音音階がおもに用いられ、かつては無伴奏で歌われた。民俗舞踊は、儀式的なものと、レクリエーション的なものの2種に大別され、前者は1年のある特定の時期に、特別な衣装をまとった幾組かの男性によって踊られるもので(剣踊り、モリス・ダンス、行列踊り)、後者は時節に関係なく男女が自由に踊る社交的なものである。伴奏楽器としてはタブール、フィドル(バイオリン)、パイプなどが用いられる。

 スコットランドの民俗音楽(スコットランド民謡)は、ゲール語によるもの(高地)と、スコットランド英語によるもの(低地)の、明確に異なる二つに分類される。音階は五音音階だけでなく、六音および七音音階も用いられる。高地民謡は英雄バラッド、作業歌、妖精(ようせい)歌、哀悼歌などからなり、とくに毛織物作業時の歌であるウォーキング・ソングwaulking songは有名である。また、ダンス曲を楽器によってではなく、声楽として演奏するのも特徴である。低地では、ソングとバラッドというイングランド民謡と同様の分類がみられる。ソングは、17世紀に宮廷に取り入れられ貴族化したものもある。また、1745年のジャコバイトの反乱時の歌も多く残っている。ソングのなかには長調に始まり関係短調に終わるというものがあり、また広い音域をもつということも特徴である。器楽には民謡ほどに明確な地域差はない。使用楽器は古来のハープからバッグパイプ(これも高地様式だけが現存)へ、そしてフィドルから現在ではアコーディオンへと変化している。シェトランド諸島やオークニー諸島の音楽はスカンジナビア起源のもので、また独特である。

 ウェールズにおいても、ウェールズ語によるウェールズ民謡は他地域の民謡と同様、ソングとバラッドおよびキャロルなどからなり、七音音階、とくにドリア旋法(教会旋法の一つ)が多く用いられる。ソングはおもに独唱であるが、対話体形式のものもある。伝統的なハープの音楽も、七音音階からなる長・短調の全音階的ハーモニーから構成されている。

[南谷美保]

『エドワード・リー著、三井徹訳『民衆の音楽――ベイオウルフからビートルズまで』(1974・音楽之友社)』『P・H・ラング著、酒井諄・谷村晃・馬淵卯三郎監訳『西洋文化と音楽』上中下(1975~1976・音楽之友社)』『『シリーズ 西洋の音楽と社会』全12巻(1996~1997・音楽之友社)』『ドナルド・ジェイ・グラウト、クロード・V・パリスカ著、戸口幸策・津上英輔・寺西基之訳『新西洋音楽史』上中(1998・音楽之友社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「イギリス音楽」の意味・わかりやすい解説

イギリス音楽 (イギリスおんがく)

イングランドを中心に,ウェールズ,スコットランド,アイルランドなど異なる民俗的・文化的背景を持つ複数の地域から成るイギリスの音楽には複雑な発展過程が見られる。その歴史をさかのぼれば,紀元前から盛んであったといわれるバードbardと呼ばれる詩人兼音楽家の伝統にまでたどることができるし,一方キリスト教音楽の導入もひじょうに早かった。他のヨーロッパ諸国には見られない独自の音楽様式を生み出して,新しい時代への先導的立場を果たしたこともある一方では,全般的に保守的傾向も強く,フランス音楽などに比べて歴史的展開に約半世紀ほどの遅れが見られる。また歴史的に起伏の激しいこともその特徴で,黄金時代と呼べるような隆盛期がいくつかある一方,その間にほとんど空白に近い沈滞期が続くという極端な展開を示している。すなわち黄金時代としては,第1にダンスタブルJ.Dunstable(1390ころ-1453)を中心とする中世からルネサンスへの転換期,第2にタリスT.Tallis(1505ころ-85),W.バード,J.ダウランド,O.ギボンズらの手によって声楽,器楽の両分野において目覚ましい展開が見られたチューダー朝とそれに続くジェームズ1世時代,第3にパーセルを中心とする王政復古時代,そして第4にボーン・ウィリアムズからブリテンにいたる現代を挙げることができる。またこのほかに例外的なケースとして18世紀前半におけるヘンデルの活躍がある。

6世紀末にはアウグスティヌス(カンタベリー大司教)によってローマからグレゴリオ聖歌が伝えられたが,やがてイギリス独自の聖歌の伝統が確立され,少なくとも13世紀までにはいわゆるソールズベリー聖歌が成立するが,これは特に15~16世紀のポリフォニーに素材を提供している点でも重要である。また教会でのオルガン使用も早く,10世紀半ばにはウィンチェスター大聖堂に約400本のパイプを持つ大オルガンが設置されている。ポリフォニーの歴史も古く,11世紀半ばころまでには2声のオルガヌムを含む曲集《ウィンチェスター・トロプス集》が成立している。また12~14世紀にはJ.A.コットン,J.deガルランディア,W.オディントンらを代表とする理論家の活躍も目だつようになる。

 13世紀イギリスのポリフォニーは当時のフランス音楽,特にノートル・ダム楽派の様式と密接な関係を持ち,オルガヌムのほか,モテット,コンドゥクトゥス,多声トロプスなどが盛んに歌われた。しかしやがてイギリス独自の様式が確立するようになり,ノートル・ダム楽派の特徴である3拍子を基本とするリズム構成を堅持しながらも,純粋和音音程である完全5度などよりもむしろ感覚的に響きの良い3度や6度を好んで用いるようになった。このような特徴は有名な《夏のカノン》や,14~15世紀に流行したキャロルにも見られるが,一方ではそのような音感覚にもとづく即興演奏が14世紀を中心に盛んに行われていたことも忘れてはならない。特に15世紀前半におけるルネサンス音楽様式の成立にあたっては,こうしたイギリス音楽独特の響きの良さが,ダンスタブルやパワーズL.Powers(1445没)らの手によって大陸に伝えられ,新しい国際的様式を生み出すもととなったことは,当時の理論家の証言からも明らかとなっている。以後15世紀を通じて数多くのイギリス作曲家たちが大陸で活躍して初期ルネサンス音楽の発展に貢献したが,その間イギリス本土では保守的な傾向が15世紀末まで続き,中世的な様式が依然人気を保ち続けていたことは,オールドホール手写譜などの資料から明らかである。

16世紀を通じて栄えたチューダー朝は,音楽好きのヘンリー8世とエリザベス1世を生み出し,イギリス音楽史上最大の黄金時代を迎えた。ヘンリー8世はフェアファックスR.Fayrfax(1464-1521)やコーニッシュW.Cornysh(1468ころ-1523)らの作曲家を優遇し,当時流行中のフランスのシャンソンを奨励するとともにみずから作曲をも手がけている。また1534年の英国国教会成立に伴い新しい教会音楽の必要性が生じ,タバナーJ.Taverner(1490ころ-1545),T.タリス,タイC.Tye(1500ころ-72ころ)などの作曲家たちがサービスやアンセムを作曲した。エリザベス朝からジェームズ1世時代にかけてはこうした教会音楽のほか,典型的なルネサンス様式によるマドリガルやエア,リュート歌曲などが盛んとなり,器楽の分野でもリュート曲,鍵盤音楽(特にバージナル曲),コンソート曲と呼ばれる合奏曲などが人気を集めた。代表的作曲家にはバードW.Byrd(1543-1623)をはじめ,モーリーT.Morley(1557-1602),J.ダウランド,O.ギボンズ,ウィールクスT.Weelkes(1575ころ-1623),ウィルビーJ.Wilbye(1574-1638),キャンピオンT.Campion(1567-1620),ロセターP.Rosseter(1568-1623),トムキンズT.Tomkins(1572-1656),そして大陸に移住したブルJ.Bull(1562ころ-1628)とフィリップスP.Philips(1561-1628)を挙げることができる。一方シェークスピア劇の人気とあいまって劇音楽も盛んとなり,マスクmasqueと呼ばれる音楽や舞踊を中心としたページェント風な総合芸術に人気が集まり,キャンピオンやローズ兄弟(H.Lawes(1596-1662),W.Lawes(1602-45))らの活躍が見られた。しかしこうした最盛期の歴史の流れは17世紀中期のピューリタン革命によって一時中断されることとなる。

王政復古後のイギリス音楽においては従来の伝統的な音楽様式(特にアンセム,マスク,器楽合奏曲などの)の再興に加えて,チャールズ2世のフランス趣味を反映した新様式(特に舞曲の)が顕著な特徴となる。国王の命により大陸様式を学び紹介したハンフリーP.Humfrey(1647-74)は夭折したが,ロックM.Locke(1630ころ-77)やブローJ.Blow(1648-1708)などの作曲家たちが大陸からの影響をとり入れた折衷様式を完成した。ブローの弟子パーセルはイギリス音楽史上を通じて最大の天才と呼ばれるにふさわしい手腕を振るい,オペラ《ダイドーとイニーアス》(1689)をはじめとする劇音楽の傑作を次々と発表し,教会音楽の分野においても名曲を残した。

 その後約15年の沈滞期を経た後,1710年のヘンデルのロンドン到着によってイギリス音楽界は再び活気をとり戻す。彼が特に力を入れたイタリア・オペラの導入は失敗に終わったが,オラトリオや器楽合奏の分野では人気を集め,以後のロンドン音楽界に決定的な影響を残した。同じころバラッド・オペラも流行し,代表作《乞食オペラ》(1728初演。ペープッシュ作曲)は圧倒的な人気を博した。ヘンデルの死後,オペラ作曲家アーンT.Arne(1710-78),アンセム作曲家W.ボイス,オルガン作曲家ウェズリーS.Wesley(1766-1837)らが現れるが,全体としてイギリス音楽は沈滞期をたどった。19世紀にはJ.フィールドのピアノ曲と,A.S.サリバンのオペレッタ以外に特筆すべきものはない。

20世紀に入るとまず管弦楽曲の分野に活発な動きが見られ,スタンフォードC.V.Stanford(1852-1924)とE.エルガーに続き,デリウスF.Delius(1862-1934),ホルスト,ボーン・ウィリアムズらが活躍した。より若い世代の代表にはウォルトンW.Walton(1902- )やティペットM.Tippett(1905- )らが含まれるが,現代音楽の代表者はブリテンで,《ピーター・グライムス》や《真夏の夜の夢》などのオペラをはじめ,管弦楽曲や合唱曲の分野においても優れた手腕を発揮している。

イギリス民俗音楽の源流をたどれば,古く中世時代のミンストレルの活躍にまでさかのぼることができる。13世紀の歌曲,14世紀の器楽用舞曲やキャロルの中にも当時の民俗音楽と関係あると思われるものも残っている。16世紀から17世紀にかけては物語的通俗歌曲としてのバラッドがおおいに流行し,その歌詞を街角で売って既成の旋律に合わせて歌わせるブロードサイド・バラッドが人気を集めた。日本でもイギリス古謡として親しまれている《グリーンスリーブズ》の旋律によって代表されるこれらのバラッドの影響は当時の芸術音楽にも見られるが,一方では民謡として今日に伝わり,なかにはカナダを含む北アメリカの古謡として残っている例もある。

 イギリス民謡のうちではスコットランドとアイルランドの例が有名であるが,その他の地方にも特色ある古謡の伝統があることはシャープC.J.Sharp(1859-1924)の研究によって明らかとなった。また舞曲や器楽曲にも地方色豊かなものが多く,有名なものにアイルランドとスコットランドに伝わるバッグパイプの伝統と,ルネサンス期の仮装舞踊に起源を持つといわれるモリス・ダンスがある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イギリス音楽」の意味・わかりやすい解説

イギリス音楽
イギリスおんがく

6世紀にグレゴリオ聖歌が導入されて以来,各大聖堂を中心に教会音楽が栄えた。 13~15世紀はカノン『夏は来りぬ』にみられる3度や6度の協和音を重んじる技法が盛んで,特に J.ダンスタブルの進歩的な技法はフランス音楽にも影響を与えた。ヘンリー8世による国教会の分立後,エリザベス1世時代には,アンセムマドリガルバージナル音楽などが花開き,バロックに入り,イギリス最初の天才パーセルが出現,その死後はヘンデルが活躍し,18世紀には,最初のバラード・オペラである J.ゲイの『乞食のオペラ』が空前の成功を収めた。その後イギリス作曲界は不毛の時期を迎えたが,20世紀にいたり,R.ボーン・ウィリアムズやブリテンの国際的名声によりようやく沈滞を脱した。

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