20世紀日本人名事典 「藤田 亮策」の解説
藤田 亮策
フジタ リョウサク
大正・昭和期の考古学者 元・奈良国立文化財研究所長;京城帝大教授。
- 生年
- 明治25(1892)年8月25日
- 没年
- 昭和35(1960)年12月12日
- 出生地
- 新潟県古志郡上北谷村(現・見附市)
- 学歴〔年〕
- 東京帝国大学文科大学史学科〔大正7年〕卒
- 経歴
- 文部省維新史料編纂所、宮内省諸陵寮を経て、大正11年朝鮮総督府博物館主任として朝鮮半島に渡り、15年京城帝大助教授に就任した。欧米留学を経て、昭和7年同大教授。この間朝鮮各地から満州東北部にかけて遺蹟古墳の発掘調査に業績をあげた他、宝物、古墳等の保存令の制定など朝鮮古文化の保存調査に力を尽くした。戦後の24年東京芸術大学教授となり、23年設立された日本考古学協会の初代委員長を務めた。34年退任後、奈良国立文化財研究所長に就任し、平城京の調査保存などに力を注いだ。著書に「朝鮮古文化綜鑑」「朝鮮考古学研究」「朝鮮学論考」他多数。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報