藤谷淵村(読み)ふじやぶちむら

日本歴史地名大系 「藤谷淵村」の解説

藤谷淵村
ふじやぶちむら

[現在地名]長瀞町長瀞

現町域の南端、荒川の左岸宝登ほど山の東に位置し、北は本野上ほんのがみ村。秩父往還が南北に通る。丹党に属した藤矢淵氏の名字の地といい、丹党系図(諸家系図纂)では「藤矢淵」との注もある岩田二郎政信の子直村が藤矢淵七郎を名乗っている。田園簿では高二九二石余・此永五八貫四六五文とあり、幕府領。寛文一一年(一六七一)常陸下館藩領となり、天和二年(一六八二)再び幕府領、天明四年(一七八四)から同七年まで下総関宿藩領となったが、のち幕府領に復した。その後、文政八年(一八二五)上野館林藩領、天保七年(一八三六)幕府領、同一一年上総貝淵藩領、翌一二年幕府領と変遷、弘化三年(一八四六)には一部が忍藩領となり、安政二年(一八五五)同藩領分は川越藩領に移る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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