虎岩村(読み)とらいわむら

日本歴史地名大系 「虎岩村」の解説

虎岩村
とらいわむら

[現在地名]飯田市虎岩

飯田市の北東部、天竜川左岸の段丘上に位置する。古代は「和名抄」所載の伴野ともの郷に属し、やがて伴野庄知久ちく郷の内となり、知久平ちくだいら城のちに神之峰かんのみね城主となった知久氏の支配を受けた。近世には初め飯田藩領となったが、寛文一二年(一六七二)に一時、幕府領となり、天和元年(一六八一)からは美濃高須たかす藩領となった。なお、当村の一部一三石分は江戸時代を通じて旗本知久氏の所領となっていた。村高は正保四年(一六四七)は一千一六二石余(信濃国絵図高辻)

「虎岩」の文献上の初見は文明一三年(一四八一)の守矢満実書留で、虎岩が諏訪社上社の神使御頭に定められた記事である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む