知久平村(読み)ちくだいらむら

日本歴史地名大系 「知久平村」の解説

知久平村
ちくだいらむら

[現在地名]飯田市知久平

現飯田市の中央部、天竜川の東岸にある段丘上に位置。古代は「和名抄」所載の伴野ともの郷に属し、やがて伴野庄知久郷の中心となり、知久氏の本拠地となった。近世には初め飯田藩領であったが、寛文一二年(一六七二)より一時幕府領となり、天和元年(一六八一)からは美濃高須藩領となった。村高は正保四年(一六四七)は五六七石余(信濃国絵図高辻)で、明暦年間(一六五五―五八)に東部山麓地帯が柿野沢かきのさわ村として分村したため、元禄一五年(一七〇二)には当村が三六七石余、柿野沢村が一七九石余(信濃国郷帳)となり、天保五年(一八三四)には両村が再び合併して五五二石余(信濃国郷帳)であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android