日本歴史地名大系 「虫生野村」の解説 虫生野村むしようのむら 滋賀県:甲賀郡水口町虫生野村[現在地名]水口町虫生野・虫生野中央(むしようのちゆうおう)・貴生川(きぶかわ)東内貴(ひがしないき)村の南東に位置し、南を杣(そま)川が西流し、北は佐山(さやま)丘陵へ続く。集落は丘陵の裾に二つに分れて立地し、西方を北虫生野、東方を東出(ひがしで)という。大永年間(一五二一―二八)山城国加茂(かも)からの移住・開拓があったともいう。寛永石高帳によれば高七五〇石余、慶安二年書上では田四一〇石余・畑屋敷四二石余・永荒川欠二九六石余。領主の変遷は氏河原(うじかわら)村と同じ。北虫生野共有文書には、寺庄(てらしよう)村(現甲南町)で杣川から引く千町(せんちよう)井の利用に関し、慶長一〇年(一六〇五)北虫生野村が南虫生野村に対し反当り杣枡で三升を井料として支払ったことを記す史料があり、東出を南虫生野と称したことがうかがわれる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by