水口町(読み)みなくちちよう

日本歴史地名大系 「水口町」の解説

水口町
みなくちちよう

面積:六八・九三平方キロ

郡の中央に位置。東は土山(つちやま)町、南は甲賀町・甲南(こうなん)町・信楽町、西は甲西(こうせい)町、北は蒲生(がもう)郡日野町・蒲生町・竜王(りゆうおう)町。町の中ほどを東西に野洲(やす)川が流れ、西端で杣(そま)川が合流する。北から東にかけては水口丘陵・佐山(さやま)丘陵が広がり、南部は飯道(はんどう)山(六六四・二メートル)をはじめとする信楽山地。集落は野洲川・杣川によって形成された沖積地と丘陵内の小盆地内に分布。川沿いの地域は早くから耕地が開かれ、町西半には条里の痕跡もうかがわれる。考古遺跡は古墳時代中期以降のものが確認され、泉(いずみ)古墳群のほか、野洲川南岸の山麓には多数の後期群集墳がある。「延喜式」神名帳にみえる甲賀郡八座のうち川田(かわた)神社・水口神社はそれぞれ北内貴(きたないき)・水口の同名社に比定され、また川枯(かわかれ)神社を嶬峨(ぎか)の八坂神社にあてる説もある。


水口町
みなくちまち

[現在地名]松山市鉄砲(てつぽう)町・平和通(へいわどおり)三丁目

松山城下町の東北端近くを東西に通ずる町筋とその周辺を含む。東は通(とおり)町、西は鉄砲町、南は矢矧(やはぎ)町・弓之(ゆみの)町、北は味酒(みさけ)村に接する。町名の初見は、元禄年間(一六八八―一七〇四)の記事を載せた「松山町鑑」(伊予史談会蔵)の「水呑町拾八町」のなかにある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

[名](スル)1 別の衣服に着替えること。特に夏冬の季節に応じて改めること。平安時代には、陰暦4月1日、10月1日に行われた。江戸幕府では、このほかに5月5日・9月9日などにも着替える定めがあった。現...

衣替えの用語解説を読む