蛭畑村(読み)ひるはたむら

日本歴史地名大系 「蛭畑村」の解説

蛭畑村
ひるはたむら

[現在地名]湯津上村蛭畑

東流する箒(ほうき)川の左岸段丘上にあり、西方で巻(まき)川が箒川に注ぐ。北東部は金丸原(かねまるはら)丘陵で、萱場(かやば)などの集落がある。西は下蛭田(しもひるた)村、南東は佐良土(さらど)村。天正一八年(一五九〇)の那須藤王丸資景知行目録(那須文書)に「ひる畠」とみえ、一九八石二升。初め那須藩領、その後那須氏領を経て烏山藩領。元禄郷帳では幕府領とある。正徳元年(一七一一)以降旗本花房領。慶安郷帳によれば田一三八石余・畑五九石余。天保年間(一八三〇―四四)の家数一一(改革組合村)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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