融通寺町
ゆつうじまち
[現在地名]会津若松市本町
融通寺町口郭門から北に行く通りで、末は北にある西名子屋町に続く、長さ三町九間余・幅四間、家数九四。その昔融通寺がここにあったための町名。町の中ほどより南に、半兵衛町に出る小路がある(新編会津風土記)。文化四年(一八〇七)の「若松風俗帳」には「此町商人住居仕候」と記される。
町の中ほどを西へ少し入った所に小館山稲荷神社がある。この地に永徳二年(一三八二)蘆名直盛が小さな館を築いて飯寺村から移り住み、東端に稲荷社を造営した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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