蟇浦村
ひきのうらむら
[現在地名]北淡町野島蟇浦・小倉
轟木村の南西にあり、西は海に面する。南東の上山村から野島川が折ヶ谷川などを合せながら北西へ流れ、海に入る。海沿いを西浦街道が通る。かつては海岸沖に島があったが、波に浸食されてなくなった。貞応二年(一二二三)の淡路国大田文に鳥羽上皇発願の最勝四天王院(現京都市東山区)領として「蟇浦庄」がみえる。田二六町・畠・浦一所で構成され、地頭は駿河入道殿とある。駿河入道は中原親能の子季時のことで、同じく津名郡内の郡家郷(現一宮町)、山田保(現同上)内の柳沢・草加の地頭をも兼帯していた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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