朝日日本歴史人物事典 「衣通郎姫」の解説
衣通郎姫
5世紀半ば,允恭天皇の妃。弟姫ともいう。『日本書紀』允恭天皇の条によると,新室の宴で皇后忍坂大中姫は舞い終わったのち,当時の習俗に従って,妹の衣通郎姫を允恭天皇に献じた。名前の由来は,その美しさが衣を通って輝いたことによる。天皇は7度召したが姉の嫉妬を恐れて参向しなかった。使者の懇請で近江坂田(滋賀県坂田郡)から大和の藤原(奈良県高市郡明日香村)へ移ったが,姉の嫉妬がやまないため,天皇は河内茅渟(大阪府泉佐野市付近か)に移り住まわせ,諸国造に科して名代の藤原部を定めて資養させた。『古事記』允恭天皇に載る天皇の娘の衣通郎女は別人であろう。
(小林茂文)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報