日本歴史地名大系 「西三条獄門跡」の解説 西三条獄門跡にしさんじようごくもんあと 京都市:中京区城巽学区壺屋町西三条獄門跡[現在地名]中京区壺屋町西洞院三条(にしのとういんさんじよう)にあった獄門で、嘉吉の乱で将軍義教を殺した赤松満祐が播磨で自殺の後、京都に送られた首がこの西洞院三条の獄門樹にさらされた。「嘉吉軍記」は嘉吉元年(一四四一)九月二一日のこととして<資料は省略されています>とある。これによると、西三条獄門はこのとき赤松満祐などの首をさらすために造られたということになる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by