西勢野村・東勢野村(読み)にしせやむら・ひがしせやむら

日本歴史地名大系 「西勢野村・東勢野村」の解説

西勢野村・東勢野村
にしせやむら・ひがしせやむら

[現在地名]三郷町大字勢野・東信貴ひがししぎおか三室みむろ夕陽ゆうひおか・信貴ヶ丘・美松みまつ丘東おかひがし一―二丁目・美松ヶ丘西一―二丁目

大和川北岸、信貴山東登山口に立地。西南立野たつの村。延久二年(一〇七〇)の興福寺雑役免帳に「立野庄田畠六町 灯油免田也 世野九条十四里」とある。嘉禄元年(一二二五)の大和信貴山公文等契約状(大宮文書)に「勢野郷」とみえ、「経覚私要鈔」嘉吉三年(一四四三)四月九日条には「向本宮(竜田)立野也、立野信貞以下引(率)一族、瀬屋ノ辻堂ニ参向」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

1 《「礼記」月令から》カワウソが自分のとった魚を並べること。人が物を供えて先祖を祭るのに似ているところからいう。獺祭魚。おそまつり。うそまつり。2 《晩唐の詩人李商隠が、文章を作るのに多数の書物を座...

獺祭の用語解説を読む