改訂新版 世界大百科事典 「たつの」の意味・わかりやすい解説
たつの[市]
兵庫県南西部の市。2005年10月竜野(たつの)市と揖保川(いぼがわ),新宮(しんぐう),御津(みつ)の3町が合体して成立した。人口8万0518(2010)。
揖保川
たつの市南西部の旧町。旧揖保郡所属。人口1万3107(2000)。揖保川下流の西岸を占め,山陽道と揖保川舟運の交点にあって,早くから栄えた。中心集落の正条(せいじよう)は江戸時代には4ヵ所の本陣があり,重要な宿場町であった。JR山陽本線の竜野駅があり,国道2号線も走り,交通の便はよい。就業人口の4割は製造業に従事し,姫路市や西隣の相生市への通勤者も多い。地場産業として淡口(うすくち)しょうゆの醸造がある。播磨工業地帯の発展に伴い,住宅地化が進展している。
新宮
たつの市北部の旧町。旧揖保郡所属。人口1万7363(2000)。東部を揖保川が南流し,西部には支流の栗栖(くりす)川が流れ,周囲は標高300m前後の山々に囲まれている。市街地は津山街道沿いにあり,そうめんなどの食品工場や機械工場が多い。JR姫新線が栗栖川沿いに走り,播磨臨海工業地域への通勤者も多い。播磨自動車道のインターチェンジがある。揖保川沿いの觜崎(はしさき)には石英粗面岩の柱状節理である天然記念物の屛風岩があり,宮内の天満神社本殿は重要文化財に指定されている。
執筆者:松原 宏
竜野
たつの市中部,播磨平野北西隅にあって揖保川に臨む旧市。1951年竜野町と揖西(いつさい),揖保,神岡,誉田(ほんだ)の4村が合体,市制。人口4万0550(2000)。江戸時代,脇坂氏の城下町で,現在でも城跡をはじめ,屈曲した道路や武家屋敷の町並みなどに城下町のおもかげをとどめる。明治中期,山陽本線開通の際,竜野駅を市街の南方6kmの揖保川町に設け,また昭和初期姫新線開通の際も本竜野駅を市街の東方2km,揖保川左岸に設置するなど,交通改善の機会をしりぞけたため近代工業の発達は遅れた。しかし,地元の小麦,大豆,揖保川の水,さらに赤穂の塩などを用いてつくられる淡口しょうゆは,17世紀後半に始まって18世紀には京都市場に進出,現在に至るまで特産物となっている。また〈揖保の糸〉とよばれる手延べそうめんや,ラーメン,マカロニの生産,皮革業も重要である。現在は山陽自動車道のインターチェンジもあり,播磨自動車道との分岐点にもなっている。市内西郊の竜野公園から白鷺山公園にかけて,童謡《赤とんぼ》で知られる詩人三木露風,哲学者三木清,一高寮歌《嗚呼(ああ)玉杯に花うけて》の作詞者矢野勘治など郷土出身の文人,哲人の碑がたっている。
執筆者:小森 星児
竜野城下
播磨国の城下町。西播山地の一角,的場山と城山(鶏籠(けいろう)山)の山ふところに,東を揖保川に限られて立地する。1595年(文禄4)の絵図にすでに町場が描かれているが,1617年(元和3)本多政朝が入封して以来40年,5万~6万石の4大名の在城が続く間に城下町が形成された。城山山麓に平山城が築かれ,その南に立町,横町,下町,上川原,下川原の5町からなる町場が形を整え,町場の北から西にかけて中核となる侍町がつくられた。ほかに町場の南と,南西の樋山村地内,北東の北竜野村地内にも侍町がつくられて,両村と軒つづきの城下となった。1672年(寛文12)脇坂氏が入封,定着した。18世紀の家中人口およそ3200人,町人人口4000人であった。
→竜野藩
執筆者:八木 哲浩
御津
たつの市南端の旧町。旧揖保郡所属。人口1万2187(2000)。播磨灘に面し,揖保川河口西岸に位置する。揖保川の三角州に発達した東部の御津はかつては農村地区であったが,姫路市に隣接し交通条件がよいため,播磨臨海工業地域の一部を形成し,プラスチック加工工場などが進出している。西部の室津(むろつ)は,奈良時代に播磨五泊の一つに数えられた港町で,江戸時代には参勤交代の西国大名の船も出入りし,大いににぎわった。明治以降,鉄道の発達でさびれ,現在は小漁村であるが,町並みに往時の面影が残っている。海岸部は瀬戸内海国立公園に含まれ,綾部山梅林,山が海に迫る七曲り,海水浴や潮干狩りの新舞子などを訪れる観光客が多い。
執筆者:松原 宏
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報