日本歴史地名大系 「西四十物町」の解説 西四十物町にしあいもんちよう 富山県:富山市富山城下西四十物町[現在地名]富山市西四十物町(にしあいものちよう)・越前町(えちぜんまち)・旅篭町(はたごまち)・桃井町(もものいちよう)一丁目旅籠(はたご)町の南、同町および越前町に並行して東西に延びる両側町で、東は覚中(かくちゆう)町に続く。本町のうち。寛文六年(一六六六)の御調理富山絵図にみえ、前田利次による町割当初からの町。アイモノとは塩魚の総称で、鮮魚と干魚との中間程度の意。これに相物の当字が用いられ、さらに相字を文字遊戯で目木と書き、判じ物的に四十と表記し、塩魚の種類の多い意もかけあわせたものであろう。天保一二年(一八四一)の富山町方旧事調理によると、往古は町内残らず魚店で、四十物町と称して繁盛したが、のち東四十物町と交替で魚市が立つようになった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by