西四十物町(読み)にしあいもんちよう

日本歴史地名大系 「西四十物町」の解説

西四十物町
にしあいもんちよう

[現在地名]富山市西四十物町にしあいものちよう越前町えちぜんまち旅篭町はたごまち桃井町もものいちよう一丁目

旅籠はたご町の南、同町および越前町に並行して東西に延びる両側町で、東は覚中かくちゆう町に続く。本町のうち。寛文六年(一六六六)の御調理富山絵図にみえ前田利次による町割当初からの町。アイモノとは塩魚の総称で、鮮魚と干魚との中間程度の意。これに相物の当字が用いられ、さらに相字を文字遊戯で目木と書き、判じ物的に四十と表記し、塩魚の種類の多い意もかけあわせたものであろう。天保一二年(一八四一)の富山町方旧事調理によると、往古は町内残らず魚店で、四十物町と称して繁盛したが、のち東四十物町と交替で魚市が立つようになった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む