西御堂村(読み)にしみどうむら

日本歴史地名大系 「西御堂村」の解説

西御堂村
にしみどうむら

[現在地名]一宮市萩原はぎわら西御堂にしみどう

中島なかしま村の南、萩原宿へ二〇町、稲葉いなば宿(稲沢市)へ一八町、北と東は美濃路を境としている。概高九五二石八斗余と新田三四石四斗余を開き計九八七石二斗余、宮田大井みやだおおい筋の水路によって、水田が多く、田畑六四町歩のうち、四三町五反余は水田。若干の蔵入地のほかは、一〇人の給知となっている。「寛文覚書」の家数七五・人数四三九人。「徇行記」はこの村の村柄について「此村落ハ美濃路街道を界トシテ、東南ノ方ニ農屋建ナラヒ一村立ノ所也、西ニ光堂川アリ、(中略)北ノ方中程ニ出屋敷六戸アリ、高ニ準シテハ戸口多ク佃力足レリ、小百姓バカリニテ持高平準ノ所也」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本の株式の水準を示す、東京証券取引所第1部225銘柄の平均株価。単位は円。構成銘柄は時価総額の分布の変化などにより、適宜入れ替えられている。現在の形になったのは1985年5月からである。ダウ・ジョー...

日経平均株価の用語解説を読む