日本歴史地名大系 「西御影町」の解説 西御影町にしみかげちよう 石川県:金沢市金沢城下第五連区西御影町[現在地名]金沢市中央通町(ちゆうおうどおりまち)・長土塀(ながどへ)三丁目犀川左岸沿いにあり、南西の犀川と北東の犀川新川除(さいかわしんかわよけ)町の間の通りに沿う町。もとは犀川の河原で宝久寺(ほうきゆうじ)河原と称されていたが、慶応三年(一八六七)一四代藩主前田慶寧により卯辰(うたつ)山開拓が行われて町地が造営され、これと同時に当地域でも新川除けが設置され町地造営が行われた。御影は「御陰」を意味し、明治三年(一八七〇)卯辰山の東御影町に対し、城西部の「元宝久寺新建ケ所」の当地域は西御影町と命名され(「布告留」加賀藩史料)、約五町歩の土地に一五〇軒余の町家が建てられたという(「卯辰山開拓録」稿本金沢市史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by