犀川(読み)サイガワ

デジタル大辞泉 「犀川」の意味・読み・例文・類語

さい‐がわ〔‐がは〕【犀川】

石川・富山県境付近の奈良岳に源を発し、北西に流れ、金沢市西部で日本海に注ぐ川。長さ約34キロ。
長野県中央部を流れる川。松本盆地松本市・安曇野あづみの市の境界付近から、長野盆地千曲川に合流するまでの約100キロ。

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精選版 日本国語大辞典 「犀川」の意味・読み・例文・類語

さい‐がわ‥がは【犀川】

  1. [ 一 ] 長野県中北部を北流する千曲(ちくま)川の支流。梓(あずさ)川が奈良井川を合わせ、長野市で千曲川に合流するまでの約一〇〇キロメートルの呼称。
  2. [ 二 ] 石川県金沢市を北西流して日本海に注ぐ川。西川。佐井川。

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日本歴史地名大系 「犀川」の解説

犀川
さいがわ

金沢市の南東端、富山県境の奈良なら(一六四四・三メートル)に発する西谷にしたに(二又川)が源流で、同じく県境の赤摩木古あかまつこ(赤摩不古山、一五〇一メートル)に発する東谷川(倉谷川)二又ふたまたで合流して犀川本流となる。以後北西に流れてすえうち川を合せて金沢市街に向かい、小立野こだつの台地と泉野いずみの台地の間を北西流し、古府こふ川・安原やすはら川・伏見ふしみ川などを合せて金石かないわ港で日本海に注ぐ。流路延長四一・七キロの二級河川。後述のように中世には「佐井河」と記されており、近世にも「西川」(加藩国初遺文)、「佐奇川」(三州式内等旧社記)の用例がみられ、才川と略記されることが多かった。犀川に固定するのは近代以降である。また俗に浅野川を女、犀川を男に見立てておとこ川と評することもあり、浅野川とともに市民に親しみめでられている。なお江戸時代以前は河口近くで河北かほく潟から流出した大野川と合流、一流となって日本海に注いでいたと伝え、慶安年間(一六四八―五二)頃に分離されたという(「寛政詮議書」加越能文庫)

正和元年(一三一二)頃の白山水引神人沙汰進分注文案(三宮古記)に「山崎村紺一端 佐井河ト栗」とみえる。白山本宮の水引神人となった山崎やまざき村の紺掻業者の勧進区域(営業圏か)が、犀川と「栗河」(大野川)の間であった。同注文案には「山崎凹市紺一」ともあって、水引神人の活躍がうかがわれるが、山崎の東を流れる浅野川は森下もりした村の同業者の南境とされており、山崎の業者の営業圏は犀川と浅野川・大野川に囲まれた区域といえよう。延徳三年(一四九一)三月一二日、冷泉為広は細川政元に同行して米泉よないずみを立ち、増泉ますいずみ石坂いしさかを経て「サイ川」を越え山崎に至った(越後下向日記)。当川は古代には加賀郡と石川郡の郡界であったとみられるが、中世ではその役割は失っていた。河口の宮腰みやこし(金石港の前身)は中世後期には日本海沿岸の流通拠点の一つであった。

近世は城下の南方を限る川で、初め大小二筋の流れに分れて間に中島があった。大流に大橋、小流に小橋があったが、三代藩主前田利常の時、城下が手狭になったので坂井就安に命じて川上の川中を掘って一筋にし、中島を埋立てて町地とし河原かわはら町とよんだ。小流は総構堀に代用され、元の小橋の所が香林坊小こうりんぼうこ橋となった。この工事は元和(一六一五―二四)初年のことと推定されているが(金沢古蹟志)、寛永八年(一六三一)大火の後は寸地もなく屋敷地になったという(三壺記)。また寛永以後にできた堤防は小立野土取場こだつのつちとりばから土を運んで築いたといい、その辺りを川除かわよけ(古川除)とよんだ。


犀川
さいがわ

長野県中央部の旧郡筑摩ちくま安曇あずみ両郡の水を集め千曲川に注ぐ川。千曲川の最大支流であり県下でも有数の大河である。北アルプスに水源を発して筑摩郡・安曇郡境を東流するあずさ川が松本平まつもとだいらを北流する奈良井ならい川を合わせ、更に安曇郡を南流してきた高瀬たかせ川と合流する。この奈良井川との合流点から千曲川に注ぐまでを犀川という。

「槍で分れた梓と高瀬」といわれるように、犀川の上流の梓川と高瀬川はいずれも水源は北アルプスのやりヶ岳である。梓川は槍ヶ岳から上高地かみこうちの谷を南へ流れ、川・島々谷しましまだになどの水を合わせつつ東流し、松本市付近で松本平を北流してきた奈良井川と合流し北方明科あかしなに向かって流れる。高瀬川は槍ヶ岳から高瀬峡谷を北に下り、鹿島かしま川・仁科にしな三湖(木崎きざき湖・中綱なかつな湖・青木あおき湖)などの水を合わせて南に向きを変え、平行する穂高ほたか川とともに安曇野の水を集めつつ南流、明科に至る。ここに合流した安曇野・筑摩野の全域の水は犀川本流となるが、明科から下流は金熊かなくま川を合わせ、犀川丘陵地を蛇行する大渓谷地帯である。この峡谷のうちで狭いながら各所に沖積地をつくり、更に水内みのち郡において土尻どじり川を合わせ川中島平かわなかじまだいらに出る。そして水内郡善光寺ぜんこうじ宿の南で裾花すそばな川が合流、大豆島まめじま(現長野市)の地点で千曲川に入る。全長約一〇〇キロ、これに源流の梓川を加えると一五七キロとなり、その流域面積は三千五四平方キロである。

犀川の名は長門本「平家物語」に寿永二年(一一八三)三月、源頼朝の兵が木曾義仲を越後に攻めようとして「信濃国佐川ノ端ニ陣ヲ取」とみえ、また頼朝の使者雑色が「サ井河ノ水増リテ三日逗留ス、此事聞エテサ井河ニ浮橋ヲ渡シ」と記される。「大塔物語」には応永七年(一四〇〇)大塔合戦に守護小笠原氏の軍勢が「犀河打渡し横田郷に陣を取る」とあり、永禄七年(一五六四)八月三日、上杉輝虎(謙信)が「信州犀川を取越え河中島に馬を立て」たことが佐竹文書に記される。


犀川
さいかわ

根尾ねお川が扇状地に出て伏流し、再び扇端にあたる真正しんせい下真桑しもまくわの所々で湧出したガマ水を源とする川。菜川とも書かれる。下真桑から南流して穂積町の野白のばく新田の南で五六ごろく川を合せ、長良川に注ぐ。流路延長約一三キロ。享禄三年(一五三〇)の洪水で根尾川の川筋が変更する前は根尾川分流の一で、古代から本巣郡の西を限っていた。建仁元年(一二〇一)五月二五日の僧琳海譲状(醍醐寺文書)には、船木ふなき十八条じゆうはちじよう郷の西境をやぶ河が限るとみえ、当時藪河とも称したようである。洪水で分水口が埋められたため現況になった(岐阜県史)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「犀川」の意味・わかりやすい解説

犀川(福岡県、旧町名)
さいがわ

福岡県東部、京都郡(みやこぐん)にあった旧町名(犀川町(まち))。現在はみやこ町の中央部及び南部を占める。旧犀川町は1943年(昭和18)町制施行。1956年(昭和31)城井(きい)・伊良原(いらはら)の2村を編入。2006年(平成18)勝山(かつやま)町、豊津(とよつ)町と合併しみやこ町となった、旧犀川町域は南北に細長く、南部は大分県境の英彦(ひこ)山開析溶岩台地が広がって中部の古生層山地に続き、北部は祓(はらい)川、今(いま)川流域に盆地状の沖積低地が開け、平成筑豊鉄道、国道496号が通じる。主産業は稲作を中心とした農業で、野菜や花卉(かき)栽培、酪農も行われている。南部の山地では林業も盛んで、帆柱(ほばしら)地区は京都茶の産地でもある。耶馬日田(やばひた)英彦山国定公園に属す南部山地には、景観に優れた野峠を経て英彦山登山口の一つ高住(たかずみ)神社口へ出る天狗(てんぐ)ラインドライブウェーが通じる。国指定の史跡御所ヶ谷神籠石(ごしょがたにこうごいし)があり、生立八幡(おいたつはちまん)神社の神幸祭は県の無形民俗文化財に指定されている。帆柱にある江戸後期の民家「旧庄屋永沼家(ながぬまけ)」は国指定重要文化財。

[石黒正紀]

『『犀川町史』(1994・犀川町)』


犀川(川、長野県)
さいがわ

長野県の中央部を北流して千曲川(ちくまがわ)に合流する川。北アルプスの槍ヶ岳(やりがたけ)南東斜面に発する梓川(あずさがわ)を含むこともあるが、通常は梓川と同じく槍ヶ岳北斜面に発する高瀬川との合流点である安曇野(あづみの)市明科(あかしな)から北流して長野盆地南部で千曲川に合流するまでの約100キロメートルを犀川とよんでいる。長野県を東西に二分する筑摩山地を曲流しながら横断するが、これは犀川一帯の地盤が隆起したことを示すもので、深い峡谷をつくっている。大正時代までは松本と新町(現、長野市)間に舟運があり、現在は長野県の一大幹線である国道19号が川沿いに走る。またダムが連続的につくられ、水力発電所が建設されている。

[小林寛義]


犀川(川、石川県)
さいがわ

石川県金沢市を流れる川。富山県境の奈良岳に源を発し、北西流して金沢市街地を貫流して日本海に注ぐ。延長34.25キロメートル。浅野川とともに金沢市民に親しまれている川で、アユ、サケ、ゴリなどが生息する。江戸初期に加賀藩が犀川の水を金沢城内へ引いた辰巳(たつみ)用水が、いまも市内を流れる。河口の金石(かないわ)港は加賀藩の外港として栄えた。上流には犀川ダム、内川(うちかわ)ダムがあり、浅野川からは洪水防止用の導水路もできた。

[矢ヶ崎孝雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「犀川」の意味・わかりやすい解説

犀川
さいがわ

長野県北部を流れる川。千曲川最大の支流。全長 153km。松本市北東部で奈良井川と梓川が合流して犀川となり,安曇野市明科高瀬川を合わせ,筑摩山地を北流する。長野市の市街地付近で裾花川と,川中島付近で千曲川と合流する。上流部の松本盆地と下流部の長野盆地では,広い氾濫原が発達して荒れ川となるが,筑摩山地では深く谷を刻んで蛇行する先行性河川で,いたるところに河岸段丘が分布し,山清路や久米路の峡谷美もある。天保3(1832)年から松本市新村と長野市信州新町の間に舟運があったが,篠ノ井線や国道19号線の開通によりその使命を終えた。水力発電源ともなっている。

犀川
さいがわ

福岡県東部,みやこ町南部の旧町域。周防灘に注ぐ今川,祓川の上・中流域から英彦山地北斜面に広がる。 1943年町制施行。 1956年城井村,伊良原村を編入。 2006年勝山町,豊津町と合体して,みやこ町となった。南北に細長く,南部は大分県に接する。大部分は山地。中心地区の本庄は今川の沖積地にある。おもな産業は農業で,米やコムギを栽培し,ほかにクリ,材木も産する。北部の木山,谷口付近には古墳が散在し,国の史跡御所ヶ谷神籠石 (→神籠石 ) がある。南端に国の重要文化財の永沼家住宅,耶馬日田英彦山国定公園に属する野峠,蛇淵の滝がある。

犀川
さいがわ

石川県,金沢平野の中央部を流れる川。全長約 37km。富山県との県境にある大門山 (1572m) に発する倉谷川と奈良岳 (1644m) に発する二又川が合流し犀川となり,北西流して金沢市内を貫流,金石 (かないわ) で日本海に注ぐ。河口の金石は金沢港の一部。江戸時代から辰巳用水,鞍月用水で金沢の市街地に引き水され,灌漑,防火,工業用水として利用された。 1965年上流に犀川ダムが完成。

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改訂新版 世界大百科事典 「犀川」の意味・わかりやすい解説

犀川 (さいがわ)

千曲(ちくま)川の最大の支流。上流の梓(あずさ)川高瀬川,さらに北流する奈良井川が長野県の松本盆地で合流するところから,長野盆地で千曲川と合流するまでの約80kmをいい,流水量は本流の千曲川より多い。槍ヶ岳に発する梓川と高瀬川は飛驒山脈を深い谷を刻んで流れ松本盆地に出る。盆地東部の安曇野(あづみの)市の旧明科(あかしな)町から犀川丘陵を穿入(せんにゆう)蛇行し,北流して長野盆地に入る。この盆地に形成された犀川の扇状地は川中島平と呼ばれ,武田信玄と上杉謙信の川中島の戦で有名である。犀川の流路は古くから善光寺平(長野盆地)と上流の筑摩・安曇両郡とを結ぶ重要な交通路で,現在は国道9号線が通じている。近世には松本~信州新町(現,長野市)間に舟運も開かれていたが,信州新町から下流は安庭(やすにわ)の滝や急流があるため通船はできなかった。犀川水系には梓川の奈川渡ダム,高瀬川の高瀬ダムなど数多くの発電用のダムがある。
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犀川 (さいがわ)

金沢市南部の山地から北西流して市街地を貫流し金石(かないわ)で日本海に注ぐ川。全長34km,流域面積256km2。河口にある金石港は,古くは宮腰(みやのこし)港と呼ばれ,藩政時代は城下町金沢の外港として重要視された。かつてはしばしばはんらんし,沿岸に水害をもたらしたが,上流部の二又新町地内に犀川ダム,支流内川に内川ダムが完成して洪水は防止され,市街地の両岸の河川敷は緑地公園となった。1974年浅野川の洪水防止のため金沢市街地の南東,田上本町と大桑町地内に導水路を建設し,浅野川の水を犀川へ分水している。かつてはアユ,ウグイ,マス,ナマズ,ゴリなどの淡水魚が豊富であり,とくにゴリは今も金沢の珍味として知られている。金沢市街地の河畔には,この川を愛し筆名にも川名にちなんで犀の字をとり入れた室生犀星の文学碑がある。
執筆者:


犀川(福岡,旧町) (さいがわ)

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百科事典マイペディア 「犀川」の意味・わかりやすい解説

犀川【さいがわ】

長野県の千曲(ちくま)川の支流。松本盆地梓川と奈良井川の合流点から,長野盆地で川中島の大扇状地を形成して千曲川に注ぐまでの長さ約84kmで,筑摩山地を蛇行(だこう)しつつ北東流し,両岸に数段の段丘をつくる。《平家物語》によれば,木曾義仲を攻めるため源頼朝の兵がこの川を渡っている。江戸時代には松本からの通船があった。中流部は谷が深く,傾斜が急なので発電用ダムが多い。松本〜長野間の最短路として古くから舟運が開けた。現在は川沿いに国道19号線が通じる。
→関連項目明科[町]信濃川信州新町[町]筑摩山地

犀川[町]【さいがわ】

福岡県東部,京都(みやこ)郡の旧町。英彦(ひこ)山北部の山地と今川沿いの盆地に広がる。農林業が主で,米,麦,大豆などを産し,ハウス栽培も盛ん。スギ,ヒノキなどの良材も産する。主集落本庄は平成筑豊鉄道田川線が通じ,田川市や北九州市への通勤者も多い。2006年3月,京都郡勝山町,豊津町と合併し町制,京都郡みやこ町となる。98.00km2。7744人(2003)。

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