西恵良村
にしえらむら
[現在地名]院内町上恵良・下恵良
恵良川の上流域、支流の温見川が合流する山間部に位置し、東は余村、北は景平村。元禄豊前国絵図によれば、四日市陣屋(現宇佐市)と豊後国玖珠郡を結ぶ往還が恵良川に沿って走る。現安心院町にあった恵良村と区別するために西恵良村と称した。「宇佐郡地頭伝記」によると、恵良氏は初め荻迫村に城を築いていたが、のちに当地に移ったという。字古城が城跡である。恵良氏は初め大内氏に属し、のち大友氏に属した。永正八年(一五一一)五月二三日の大内氏奉行人連署奉書(恵良文書)によれば、宇佐郡恒松名内の土地と田川郡弓削田庄(現福岡県田川市)内の土地を宛行われている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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