日本歴史地名大系 「西敬寺」の解説 西敬寺さいきようじ 長野県:飯山市奈良沢村西敬寺[現在地名]飯山市大字飯山 奈良沢真宗東本願寺派、片雄山報恩院西敬寺。本尊は阿弥陀如来。もと倉科(くらしな)山とも号した。下野国の岩倉刑部少輔親経が親鸞の弟子となり法号善巧と称し、当寺を開基。のち倉科(現更埴市)に移り、永禄年中(一五五八―七〇)牛出(うしで)(現中野市)、元和年中(一六一五―二四)深沢(ふかさわ)(現飯山市大字飯山)へ移転、城主佐久間氏によって現在地へ移された。天和二年(一六八二)の寺社領并由緒書(西敬寺蔵)によれば、寺領二石四升四合。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by