奈良沢村
ならざわむら
[現在地名]飯山市大字飯山
本町の西、愛宕山小丘陵の西南に位置し、北は愛宕町、南は上倉村。西山中に堂平・分道・牛ヶ首の古い集落がある。
上杉文書永禄四年(一五六一)三月一二日条に、上杉憲政が北条氏康を小田原に攻めた時の長尾景虎方の士として「奈良沢民部少輔」の名がみえる。のち高梨氏の被官に「奈良沢雅楽助」があるが早く滅びた。天正七年(一五七九)下諏訪春宮造宮帳に村名初見、若槻新庄北端であった。村内に田草城(現飯山市大字静間)の出城が数ヵ所ある。天和二年(一六八二)の寺社領并由緒書(西敬寺蔵)に諏訪大明神、高二石一斗八升四合と記されている。
享和元年(一八〇一)静間村との間で境論があり、寺社奉行松平周防守の裁許で、斑尾山頂から御分間二〇八番杭・三ノ沢・やせうね・後谷沢の北は奈良沢村、南は静間村と決した。
奈良沢村
ならざわむら
[現在地名]天童市奈良沢
越王山(二二五・八メートル)の東側から立谷川扇状地北端部にかけて集落が形成され、東部は雨呼山の西端に続く畑地帯で、正法寺川が北流する。南は荻野戸村、北は貫津村、西は原町村。寛永一三年(一六三六)の保科氏領知目録では高一千九八二石余。寛永検地で枝郷原町村を分村し、高一千三四三石余となる(「原町村検地帳」山形大学附属博物館蔵)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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