日本歴史地名大系 「西気良村」の解説 西気良村にしけらむら 岐阜県:郡上郡明方村西気良村[現在地名]明方村気良(けら)吉田(よしだ)川支流の気良川右岸にあり、対岸は東気良村,下流は二間手(ふたまて)村。西は伊妙(いみよう)峠を経て寒水(かのみず)村。「兵範記」仁平二年(一一五二)二月二日条にみえる気良庄の遺称地。天正八年(一五八〇)織田信長と本願寺の和睦の勅を聞入れなかった教如は気良庄八代八右衛門宅で隠棲していたという(鷺森旧事記)。その傍証となる慶長二年(一五九七)の教如上人消息が、当地の浄土真宗本願寺派光明(こうみよう)寺に伝わる。慶長郷帳に「西けら 牧共」とあり、高一千一四四石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では西けら村単独で同高が記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by