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教如 きょうにょ

美術人名辞典の解説

教如

真言宗の僧。智積院四十七世。越後の人。教如は号。昭和3年(1928)寂、82才。

出典 (株)思文閣美術人名辞典について 情報

百科事典マイペディアの解説

教如【きょうにょ】

本願寺派第12世法主。諱(いみな)は光寿(こうじゅ),顕如(けんにょ)の子。1570年顕如とともに織田信長と戦い(石山一揆),父の死後法灯を継ぐ。徳川家康の許可を得て,1602年京都七条烏丸(からすま)に東本願寺を創建,以後東西本願寺が並立するに至る。
→関連項目西本願寺東本願寺

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朝日日本歴史人物事典の解説

教如

没年:慶長19.10.5(1614.11.6)
生年:永禄1.9.16(1558.10.27)
安土桃山・江戸初期の真宗の僧。本願寺12世で,本願寺教団の東西分派の主導者として有名。摂津国大坂(大阪府)に生まれる。本願寺顕如と如春尼の子。本願寺と織田信長の石山合戦期に成人し,合戦末期には父を補佐して,諸国の門徒に檄文を発した。天正8(1580)年和議が調い,父が本願寺を退去したのちも,主戦派の門徒の支持を受けて4カ月間籠城を続けた。このことが,のちの東西分派の遠因といわれる。文禄1(1592)年,父の死去にともない本願寺を継職するが,翌年豊臣秀吉の命により隠居,弟准如に跡を譲った。しかし,隠居後も多くの門徒の支持を受け,宗主しかできない本願寺免物の裏書を「大谷本願寺釈教如」の署判で発給したり,親鸞の『正信偈・三帖和讃』の開版を行うなど,宗主としての立場を堅持した。慶長5(1600)年の関ケ原の戦に際し,徳川家康を訪問してから家康との親交を深め,同7年京都東六条に寺地四町四方の寄進を受けて,東本願寺を別立した。この東西分派の要因については,家康と本多正信による本願寺勢力二分の政策との説もあるが,石山合戦退城・籠城を遠因とする,本願寺門徒および家臣団の分裂を前提とする説が有力である。<参考文献>『本願寺文書』『大谷本願寺通記』『宇野新蔵覚書』『御堂日記』,柏原祐泉『日本近世近代仏教史の研究』,大桑斉他『浄土真宗』

(草野顕之)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

きょうにょ【教如】

1558‐1614(永禄1‐慶長19)
安土桃山~江戸初期の浄土真宗の僧。諱(いみな)は光寿。顕如の長男。1570‐80年の石山本願寺一揆で父とともに織田信長と戦った。和睦により石山本願寺から退去することとなったが,父と同時には退かず,寺内にとどまり再挙のかまえをみせた。92年(文禄1)顕如の跡を継いだが,翌年母如春尼が宗主の地位を末子准如に譲ることを豊臣秀吉に申し出で命令により隠居。信浄院と呼ばれた。徳川家康から新寺建立の許可を得て1602年京都烏丸に東本願寺を別立し,これが東西本願寺の分立となる。

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大辞林 第三版の解説

きょうにょ【教如】

1558~1614) 安土桃山時代の浄土真宗の僧。本願寺第一二世。東本願寺初世。顕如けんによの長男。諱いみなは光寿。石山本願寺に生まれ、父とともに織田信長と戦う。顕如没後一二世を継いだが、豊臣秀吉の命で隠退。のち徳川家康から烏丸に寺地を与えられ東本願寺を建立した。以後本願寺は東西二派に分かれる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

教如
きょうにょ
(1558―1614)

安土(あづち)桃山時代の浄土真宗の僧。本願寺12世で、東本願寺の開創者。幼名を茶々、俗名を光寿(こうじゅ)、信浄院(しんじょういん)と称する。本願寺11世顕如(けんにょ)の長子で、母は細川晴元(ほそかわはるもと)の娘如春尼(にょしゅんに)(1544―1598)。本願寺が織田信長と戦った石山合戦の最末期の1580年(天正8)、開城をめぐって父顕如と対立し、4月の顕如退城後も籠城(ろうじょう)を続け、8月に退出した。以来、信長が没するまで義絶状態となったが、1592年11月に顕如が没すると、豊臣秀吉(とよとみひでよし)から命ぜられて本願寺12世を継いだ。しかるに如春尼が顕如の譲状を示して弟准如(じゅんにょ)(1577―1631)の継職を秀吉に訴えたので、翌1593年10月退隠を命ぜられ、准如が本願寺住持職についた。以来裏方と称して活動を続け、1602年(慶長7)徳川家康から京都六条烏丸(からすま)の地を寄進され、東本願寺を別立した。[大桑 斉]

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367日誕生日大事典の解説

教如 (きょうにょ)

生年月日:1558年9月16日
安土桃山時代;江戸時代前期の真宗の僧
1614年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典内の教如の言及

【難波別院】より

…本願寺派の津村別院を北御堂(きたのみどう)と称するのに対して,南御堂(みなみのみどう)ともいう。1594年(文禄3)本願寺教如は本願寺住持職を弟准如に譲って隠退,翌95年に摂津国西成郡渡辺の石山本願寺の旧地に寺を営み,大谷本願寺または大坂本願寺と号したのが起源である。1598年(慶長3)現在地に移り,1603年堂舎を完成,これを難波御堂と称した。…

【本願寺】より

…その後83年和泉国貝塚,85年大坂天満(てんま)を経て91年豊臣秀吉の命により京都七条堀川に寺を移した(西本願寺)。1592年顕如の没後,長男教如が継職したが,故あって翌年弟准如に譲り隠退した。1602年(慶長7)教如は徳川家康から寺地を七条烏丸に得て寺を造建(東本願寺)。…

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