日本歴史地名大系 「西矢部村」の解説 西矢部村にしやべむら 愛知県:新城市西矢部村[現在地名]新城市矢部(やべ)上平井(かみひらい)村の東北にある。近世を通じて新城藩領。慶長九年(一六〇四)の検地帳には「矢部村」とあって、田一二町七反余・一六三石余、畑と屋敷二二筆を合わせ四町五反余・四八石余。ほかに九反余の永荒畑がある。享保一〇年(一七二五)の書上(雁峯山入会古文書)では田一三町二反余・畑五町七反余、高二三四石余。戸数四九、人口二一〇、牛馬二八匹である。西部山麓に谷下(やげ)遺跡があり、弥生期の石器・土器が発見されており、さらに土師器・山茶碗も検出されている。また上(うえ)ノ川(かわ)遺跡も弥生後期から古墳期の土器を出土する。この近辺には三基の矢部古墳群があったが、現在は消滅した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by