鳳来寺山の南面、標高五二〇メートルの位置にある。真言宗五智教団、煙巌山と号す。本尊薬師如来。三河国鳳来寺略縁起(小笠原利緒氏蔵)によれば、開山利修仙人は山城国の人で、白鳳元年に入山したという。初め鳳来寺山の南、
表参道に築かれた一千四二五段の石段を登れば鳳来寺本堂(薬師堂)がある。麓よりここまでは江戸時代には二一の寺院が建並んでいた。今は楼門と
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愛知県新城市の旧鳳来町にある真言宗の寺。山号は煙巌山。〈峰の薬師〉と称される。鳳来寺山の南面,標高520mに位置する。703年(大宝3)文武天皇の勅願により利修仙人が開創したと伝える。のち衰微したが源頼朝が再興。一説には,平治の乱後の3年間,頼朝が当寺にかくまわれたためという。明応年間(1492-1501)には寺領3000石を数えたが,1590年(天正18)豊臣秀吉のときには300石に減じた。徳川家康は,父広忠が当寺本尊にその誕生を祈願したことから寺領を寄せ,家光の代には伽藍の増築,東照宮の建立が行われ,寺領も1350石となった。しかし東照宮は天台宗に属したため,一山は天台・真言2宗支配となり紛争のもととなったが,1906年真言宗に統一された。本尊薬師如来は日本三薬師の一つという。ブッポウソウ(仏法僧)の生息地としても著名。
執筆者:船岡 誠
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愛知県新城(しんしろ)市門谷(かどや)、鳳来寺山中にある真言(しんごん)宗五智(ごち)教団本山。煙巌山(えんごんさん)と号する。本尊は薬師如来(にょらい)。峯薬師(みねやくし)ともよばれ、日本三薬師の一つとして知られる。703年(大宝3)文武(もんむ)天皇の勅願により、利修(りしゅう)仙人の開創と伝える。その後、源頼朝(よりとも)は三重塔をはじめ諸堂宇を再建した。また天文(てんぶん)年間(1532~55)に松平広忠(ひろただ)夫妻が当寺に参籠(さんろう)して一子を得たのが徳川家康といわれ、天下統一後はその外護(げご)により寺運隆盛を迎えた。さらに3代将軍家光(いえみつ)の代に伽藍(がらん)を改修するとともに、東照宮も造営された。しかし当山各坊は真言・天台両宗の対立と、明治の廃仏棄釈などにより衰えたが、1906年(明治39)全山真言宗となり、しだいに復旧し、1954年(昭和29)現派本山となった。
[眞柴弘宗]
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…三河国矢作(やはぎ)地方などの伝説や《浄瑠璃物語》に登場する女主人公。《浄瑠璃物語》によれば,源中納言兼高と妻の遊君矢作の長者とが峰の薬師(鳳来(ほうらい)寺)に申し子をして得た子。14歳のとき,金売吉次の供をして奥州に下る牛若(義経)と契ったとされ,駿河国吹上で病に死んだ義経を姫が蘇生させたとされる。また,三河国笹谷で義経が法華経と歌を回向(えこう)すると姫の墓の五輪塔が砕けて,奇瑞をみせたと伝える。…
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