鳳来寺(読み)ホウライジ

デジタル大辞泉 「鳳来寺」の意味・読み・例文・類語

ほうらい‐じ【鳳来寺】

愛知県新城しんしろ市にある真言宗五智教団の大本山。山号は、煙巌山。開創は大宝3年(703)、開山は利修と伝える。

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精選版 日本国語大辞典 「鳳来寺」の意味・読み・例文・類語

ほうらい‐じ【鳳来寺】

  1. 愛知県南設楽郡鳳来町にある真言宗五智教団の大本山。山号は煙巖山。大宝二年(七〇二文武天皇の勅願による利修の草創と伝えられる。寺域の鳳来寺山コノハズク仏法僧)の生息地として知られ、国名勝・天然記念物に指定されている。峰薬師

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日本歴史地名大系 「鳳来寺」の解説

鳳来寺
ほうらいじ

[現在地名]鳳来町門谷 鳳来寺

鳳来寺山の南面、標高五二〇メートルの位置にある。真言宗五智教団、煙巌山と号す。本尊薬師如来。三河国鳳来寺略縁起(小笠原利緒氏蔵)によれば、開山利修仙人は山城国の人で、白鳳元年に入山したという。初め鳳来寺山の南、千寿せんじゆヶ峰に住み、のち万寿坂まんぜざか峠に移り鳳来寺に通って修行したと伝える。また本尊は、利修仙人が奥院にあった七本杉のうち一本を切り、一刀三礼の法をもって彫刻したという。また山号の由来は鳳来寺興記(丸山彭氏蔵)に「本堂ヨリ西ニ当テ峯ヲ隔テヽ山有。仙人護摩ヲ修セシ岩窟アリ。護摩ノ煙、巌ニ着テ今ニ之アル故ニ爾云フ」とある。この岩窟は、鳳来寺山表山の西端塩平しおだいら地籍の標高四五〇メートル付近に高さ・奥行ともに約四メートルの岩窟をいい、利修仙人の石像が祀られている。その傍らに元禄六年(一六九三)記銘の開眼供養記念碑がある。地元では仙人様せんにんさまとよばれる所である。門谷かどやの街中に仙人様への道標があり、「利修仙人護摩所煙巌山道」と刻まれている。

表参道に築かれた一千四二五段の石段を登れば鳳来寺本堂(薬師堂)がある。麓よりここまでは江戸時代には二一の寺院が建並んでいた。今は楼門と松高しようこう院のみが残る。本堂は、大宝三年(七〇三)文武天皇の勅願により創建され、文治年中(一一八五―九〇)源頼朝が堂宇・坊舎を新築したという。元和六年(一六二〇)の火災で坊舎・古記録・宝物などとともに焼失。寛永二年(一六二五)松平忠明・菅沼定房らの寄付で再建。慶安元年(一六四八)徳川家光が本堂をはじめ諸堂宇建替えを発願、同四年に竣工。同時に東照とうしよう宮も竣工した。文久三年(一八六三)堂塔坊舎一〇余が焼失。現在の本堂は昭和四九年(一九七四)のもの。なお、本堂の東方には東照宮と宿坊があり、西北方の奥院に至る沿道にも勝岳しようがく院跡・不動ふどう堂があり、表山全山が霊場の体をなす。

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改訂新版 世界大百科事典 「鳳来寺」の意味・わかりやすい解説

鳳来寺 (ほうらいじ)

愛知県新城市の旧鳳来町にある真言宗の寺。山号は煙巌山。〈峰の薬師〉と称される。鳳来寺山の南面,標高520mに位置する。703年(大宝3)文武天皇の勅願により利修仙人が開創したと伝える。のち衰微したが源頼朝が再興。一説には,平治の乱後の3年間,頼朝が当寺にかくまわれたためという。明応年間(1492-1501)には寺領3000石を数えたが,1590年(天正18)豊臣秀吉のときには300石に減じた。徳川家康は,父広忠が当寺本尊にその誕生を祈願したことから寺領を寄せ,家光の代には伽藍の増築,東照宮の建立が行われ,寺領も1350石となった。しかし東照宮は天台宗に属したため,一山は天台・真言2宗支配となり紛争のもととなったが,1906年真言宗に統一された。本尊薬師如来は日本三薬師の一つという。ブッポウソウ(仏法僧)の生息地としても著名。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鳳来寺」の意味・わかりやすい解説

鳳来寺
ほうらいじ

愛知県新城(しんしろ)市門谷(かどや)、鳳来寺山中にある真言(しんごん)宗五智(ごち)教団本山。煙巌山(えんごんさん)と号する。本尊は薬師如来(にょらい)。峯薬師(みねやくし)ともよばれ、日本三薬師の一つとして知られる。703年(大宝3)文武(もんむ)天皇の勅願により、利修(りしゅう)仙人の開創と伝える。その後、源頼朝(よりとも)は三重塔をはじめ諸堂宇を再建した。また天文(てんぶん)年間(1532~55)に松平広忠(ひろただ)夫妻が当寺に参籠(さんろう)して一子を得たのが徳川家康といわれ、天下統一後はその外護(げご)により寺運隆盛を迎えた。さらに3代将軍家光(いえみつ)の代に伽藍(がらん)を改修するとともに、東照宮も造営された。しかし当山各坊は真言・天台両宗の対立と、明治の廃仏棄釈などにより衰えたが、1906年(明治39)全山真言宗となり、しだいに復旧し、1954年(昭和29)現派本山となった。

[眞柴弘宗]


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百科事典マイペディア 「鳳来寺」の意味・わかりやすい解説

鳳来寺【ほうらいじ】

愛知県新城市鳳来寺山中腹にある真言宗五智教団の本山。山号は煙巌山。本尊薬師如来。宝来寺,蓬莱寺とも。703年利修仙人の開創と伝え,鎌倉時代源頼朝が再興し,源氏の祈願所とした。のち衰えたが徳川家康は父が自分の出生を祈願した由縁により崇敬し,家光は伽藍(がらん)を建立し,東照宮を造営した。表参道の仁王門重要文化財
→関連項目天竜奥三河国定公園鳳来寺山

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鳳来寺」の意味・わかりやすい解説

鳳来寺
ほうらいじ

愛知県東部,新城市にある寺。真言宗五智教団の本山。大宝3 (703) 年に利修仙人が開創。光明皇后御願寺と伝えられる。源頼朝が建久年間に再興し,源氏の祈願所とした。徳川家康は父がこの寺に祈り出生したことから保護し,徳川家光は伽藍を増築し,新たに東照宮を建てた。真言宗に属し,本尊の薬師如来は峯薬師といわれる。

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デジタル大辞泉プラス 「鳳来寺」の解説

鳳来寺

千葉県市原市にある曹洞宗の寺院。室町時代後期に建てられた観音堂は国の重要文化財に指定されている。

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世界大百科事典(旧版)内の鳳来寺の言及

【浄瑠璃姫】より

…三河国矢作(やはぎ)地方などの伝説や《浄瑠璃物語》に登場する女主人公。《浄瑠璃物語》によれば,源中納言兼高と妻の遊君矢作の長者とが峰の薬師(鳳来(ほうらい)寺)に申し子をして得た子。14歳のとき,金売吉次の供をして奥州に下る牛若(義経)と契ったとされ,駿河国吹上で病に死んだ義経を姫が蘇生させたとされる。また,三河国笹谷で義経が法華経と歌を回向(えこう)すると姫の墓の五輪塔が砕けて,奇瑞をみせたと伝える。…

※「鳳来寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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