日本歴史地名大系 「西蕗田村」の解説 西蕗田村にしふきだむら 茨城県:結城郡八千代町西蕗田村[現在地名]八千代町蕗田(ふきだ)飯沼新田(いいぬましんでん)より崎房(さきぶさ)村・鴻野山(こうのやま)村(現石下町)の間を経て北上するヤト田の奥西側台地上に位置。東はヤト田を挟み東蕗田村。小字には堰(せき)ノ上(うえ)・台山下(だいやました)・台山前(だいやままえ)・台山・台山西(だいやまにし)・磯久保(いそくぼ)・新堀(しんぼり)・三島下(みしました)・東久保(ひがしくぼ)・塚山東(つかやまひがし)・塚山・塚下(つかした)・屋敷下(やしきした)・清水台(しみずだい)・清水下(しみずした)・鷲下(わしした)・山越(やまこし)・大久保(おおくぼ)・皆定久保(みなさだくぼ)など起伏の著しい地勢を彷彿させるものが多い。「親鸞上人門侶交名牒」京都光薗院本に「信楽 シモヲサノクニニヰツヽミ」と並べて「善性 オナシフウキタ」とあり、善性は一一人の弟子と七人の孫弟子を有していたことが記され、真宗の原始教団において蕗田門徒が存在したことが確認される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by