滋賀県南端、甲賀郡(こうかぐん)にあった旧町名(信楽町(ちょう))。現在は甲賀市の南西部を占める一地区。1930年(昭和5)長野町が信楽町と改称、1954年(昭和29)雲井、小原(おはら)、朝宮(あさみや)、多羅尾(たらお)の4村を合併。2004年(平成16)水口(みなくち)町、土山(つちやま)町、甲賀町、甲南(こうなん)町と合併、市制を施行して甲賀市となる。旧町域は、大戸(だいと)川が南北に貫流する標高約300メートルの内陸盆地で、周囲は高原性の信楽山地(江城高原)である。信楽高原鐵道、国道307号、422号、新名神高速道路が通じる。名称は奈良時代の紫香楽(しがらき)宮と信楽焼に由来する。北東部の宮町から黄瀬(きのせ)、牧にかけては、聖武(しょうむ)天皇の紫香楽宮が造営された地で、国の史跡に指定され、内裏や甲賀寺(甲賀国分寺)などの跡が残る。また、『延喜式(えんぎしき)』の甲賀牧の地で、保良(ほら)寺、仙禅寺、式内社の飯道(いいみち)神社(本殿は国の重要文化財)などもある。多羅尾は旗本多羅尾氏の陣屋が置かれた地。鎌倉時代に始まる信楽陶業の中心は長野地区で、県立陶芸の森の中に信楽産業展示館、陶芸の森陶芸館などがつくられている。西部の朝宮地区は玉露など高級茶の産地として知られる。
[高橋誠一]
『『信楽町史』(1957・信楽町)』
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…信仰というのもおなじであるが,信心はひろく通俗性をもっている。しかし仏教で〈信〉とか〈信楽(しんぎよう)〉といえば,絶対的帰依の哲学的意味をもたせる。したがって〈浄土を信楽する〉〈本願を信ずる〉とはいっても,浄土・本願を信心するといわない。…
…また親鸞は〈名号を称ふといふとも,他力本願を信ぜざらんは辺地に生るべし。本願他力を深く信ぜん輩は,なにごとにかは辺地の往生にて候べき〉(《末灯鈔》)と他力本願の信・不信によって往生の場所がちがうことを教え,また〈弥陀如来の御ちかひのなかに,撰択摂取(せんちやくせつしゆ)したまへる第十八の念仏往生の本願を信楽(しんぎよう)するを他力とまふすなり。如来の御ちかひなれば他力には義なきを義とす,と聖人のおほせことにてありき(略)他力は本願を信楽して往生必定なるゆへにさらに義なしとなり〉(同上)と述べ,弥陀の本願を信楽(信じ願うこと)してはからいの無いことが他力だと説いている。…
※「信楽」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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