西行庵(読み)さいぎようあん

日本歴史地名大系 「西行庵」の解説

西行庵
さいぎようあん

[現在地名]吉野町大字吉野山

宝塔院屋敷ほうとういんやしきから峰の中腹を回りつめた所に苔清水こけしみずがある。「野ざらし紀行」に

<資料は省略されています>

とある。約二〇〇メートルで西行庵がある。

嘉永元年(一八四八)暁鐘成は「西国名所図会」に「今尚其あとに庵をしつらひ いささか古跡のしるしとす。凡一間半に奥行一間ばかりの草屋なり。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の西行庵の言及

【真葛原】より

…《新古今和歌集》巻十一に〈わが恋は松をしぐれの染めかねて真葛原に風騒ぐなり〉の歌を残す慈円は青蓮院門跡であった。文人の愛好した地で,双林寺境内に西行庵があり,ここで没した頓阿の像とともに西行像が安置される。平康頼の山荘も双林寺付近にあり,そこで《宝物集》を著したという。…

※「西行庵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」