西長村
にしおさむら
[現在地名]加西市西長町
東剣坂村の東に位置し、下里川と支流賀茂川の合流点付近、善防山の北麓に立地する。善防山城主赤松則繁の家臣長谷川道院が嘉吉の乱後この地に隠れ住み開拓したので、姓の頭字を取って長村と名付けたと伝える。道院の墓は上原の旧屋敷にあったという(加西郡誌)。天正一五年(一五八七)九月二四日の豊臣秀吉知行方目録(木下家文書)に「おさ村」とみえ、木下家定は豊臣秀吉から同村五〇石などを宛行われている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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