日本歴史地名大系 「東南村」の解説 東南村ひがしなんむら 兵庫県:加西市東南村[現在地名]加西市北条町東南(ほうじようちようひがしなん)西高室(にしたかむろ)村の北に位置し、下里(しもさと)川の上流域に立地する。慶長国絵図に東南とみえ、寛延二年(一七四九)の播磨国細見図には東名(ひがしな)村と記される。初め姫路藩領、正保(一六四四―四八)頃は幕府領(正保郷帳など)、宝永五年(一七〇八)大坂城代土岐氏領となる(宝永六年「年貢免状」東南区有文書など)。正徳二年(一七一二)大坂城代内藤氏領となるが(正徳三年「年貢免状」同文書)、享保五年(一七二〇)上知され幕府領に復する(享保六年「年貢免状」同文書)。 東南村とうなんむら 兵庫県:揖保郡太子町東南村[現在地名]太子町東南矢田部(やたべ)村の北に位置し、山陽道が通る。慶長国絵図に村名がみえる。慶長一八年(一六一三)の揖東郡村々高覚(三木家文書)では同一三年の高五六三石。元和三年(一六一七)から幕末まで林田藩領(「太子町史」など)。元和三年の揖東郡郷帳(林田郷土史)には「鵤ノ東南村」とあり、同高。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by