日本歴史地名大系 「西難波村」の解説 西難波村にしなにわむら 兵庫県:尼崎市旧川辺郡地区西難波村[現在地名]尼崎市西難波町一―六丁目・東七松町(ひがしななつまつちよう)一丁目・七松町三丁目・南七松町(みなみななつまつちよう)一―二丁目・昭和通(しようわどおり)七―九丁目・昭和南通(しようわみなみどおり)七―九丁目・神田北通(かんだきたどおり)六―九丁目・神田中通(かんだなかどおり)六―九丁目・神田南通(かんだみなみどおり)三―六丁目・蓬川荘園(よもがわそうえん)東難波村の西に位置し、南西部は蓬川を隔てて、武庫(むこ)郡浜田(はまだ)村。天文五年(一五三六)三月二六日、摂津中嶋(なかじま)(現大阪市淀川区)の一向一揆衆と富田中務の軍勢が「西難波」に立籠っていた細川晴元方の三好伊賀守勢を攻め落している(細川両家記)。慶長国絵図に西難波とみえ高八三三石余。正保郷帳に村名がみえ、同高で、ほかに新田高一四四石余と竹屋(たけや)新田村高七六石余。元和三年(一六一七)の摂津一国御改帳では幕府領(片桐貞隆預地)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報