日本歴史地名大系 「西鹿沼村」の解説 西鹿沼村にしかぬまむら 栃木県:鹿沼市西鹿沼村[現在地名]鹿沼市西鹿沼町・日吉町(ひよしちよう)黒(くろ)川と大芦(おおあし)川との間に位置。北西に一番山・二番山・三番山の岩山連丘があり、南東には小藪(こやぶ)山がある。当地から小藪川が南流する。東は押原(おしはら)村、南は花岡(はなおか)村。日光山往古社領六十六郷の一つに西鹿沼郷がある(日光山常行三昧堂新造大過去帳)。正長元年(一四二八)のものと推定される七月二九日の沙弥道慶書状に「西鹿沼郷」とみえ、同郷は常行(じようぎよう)堂御念仏供米を上納することになっていたが、年来不作のため百姓らは上納に困っており、とくにこの年は飢饉のため供米上納は困難が予想される、と代官道慶が見衆に伝えている。見衆の意見は例年どおり年貢を上納せよというものであったらしく、同年のものと推定される八月八日の道慶書状では、道慶は領主側の意を受けて年貢上納に奔走しているが、なお未進があり苦慮している。九月一一日の道慶書状によると、同郷の応永三四年(一四二七)分の年貢未進は六斗五升、正長元年分は一石五斗五升あったことが知られる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報