見永村
みながむら
[現在地名]嬉野町見永
雲出川と中村川の合流点のやや東方、右岸の平野部に位置し、新屋庄村の西方にあたる。見長村とも書く。小字名に五ノ坪や藤治垣内・鍛冶屋垣内・垣内田・墓垣内・南垣内などがあり、また塩田の地名もみえる。鎌倉時代の「神宮雑例集」の一志郡の項に外宮領として「見長御園」とみえる。南北朝時代の「外宮神領目録」には「見長御園三斗 本見長御園三度御祭菓子勤」とあり、「神鳳鈔」には内宮領として田積二〇町とある。
文禄検地帳(徳川林政史蔵)に「見長村」とみえ、田畠屋敷合せて四〇町六畝一五歩、分米五四六・九〇一石とあり、小物成として茶があった。江戸時代は和歌山藩白子領で、小船江組に属した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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