見瀬辰平(読み)ミセ タツヘイ

20世紀日本人名事典 「見瀬辰平」の解説

見瀬 辰平
ミセ タツヘイ

明治・大正期の真珠養殖技術者



生年
明治13(1880)年3月16日

没年
大正13(1924)年8月3日

出身地
三重県

経歴
船大工などを経て、真珠の養殖を研究。明治40年真円真珠養殖法の特許を巡り、御木本幸吉の娘婿・西川藤吉と争ったが、41年譲歩。のち日本人として初めて外国で真珠養殖法の特許を取得した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「見瀬辰平」の解説

見瀬辰平 みせ-たつへい

1880-1924 明治-大正時代の真珠養殖技術者。
明治13年3月16日生まれ。船大工などの修業ののち,真珠の養殖技術を研究。明治40年真円真珠養殖法の特許をめぐり御木本幸吉の娘婿西川藤吉とあらそい,翌年譲歩する。その後日本人としてはじめて外国で養殖法の特許をえた。大正13年8月3日死去。45歳。三重県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の見瀬辰平の言及

【真珠】より


【真珠養殖】
 日本では御木本幸吉が1888年ころからアコヤガイにガラス,貝殻などで作った半球形の核を挿入して養殖試験を行い,5年後にようやく5個の半円真珠を得た。その後,1907年に三重県の見瀬辰平は真円真珠の誕生を告げる特許を得た。この特許願の中で見瀬は,核を挿入する際に外套膜の上皮細胞をいっしょに挿入することが真円真珠を作るために重要であると述べ,真珠の形成にとって真珠袋を作らせる細胞が必要なことを明確にしている。…

※「見瀬辰平」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」