観三橘町
かんさんたちばなちよう
町の東は南北に通る烏丸通。烏丸通今出川下ル三条殿町・烏丸通武者小路下ル観音町・一条通北筋烏丸西入橘辻子の三町が明治二年(一八六九)に合併、現町名となった。
当町東側の現京都御苑内にかつて金山天王寺の観音堂があって、それが観音町の名称になったと伝える。この観音堂は、「親長卿記」延徳三年(一四九一)五月一六日条に「参詣烏丸観音堂談儀」とみえる。また「薩戒記」永享二年(一四三〇)二月二五日条に「向太子堂一条烏丸聴聞法華談儀」とあり、金山天王寺本堂の側に太子堂のあったことがわかる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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