観世町(読み)かんぜちよう

日本歴史地名大系 「観世町」の解説

観世町
かんぜちよう

上京区大宮通五辻下ル

南北に通る大宮おおみや通の両側町。

元亀二年(一五七一)の御借米之記(立入宗継文書)に「観世町」とあり、川西組に属した。寛永一四年(一六三七)洛中絵図は町の北側を「観世北丁」、南側を「観世下丁」とし、寛永一八年以前平安城町並図は「くわんせんノ町」とのみ記し、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」は観世北町・南町に分ける。明治維新の際合併した(坊目誌)

町名は能の観世座の家があったことによる。土地は足利氏より観世太夫拝領したもので、古くは観世太夫町ともいった。宝暦一二年刊「京町鑑」に「此町西側観世屋敷有猿楽四座の内観世左太夫拝領の地也よつてかくいふ」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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